山に行ってきましたのレポート


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 国見岳−1,738m(熊本・宮崎)山行記録

平成1553日(祝)天候・晴れ、気温 山頂15度程度 

ルート:内大臣林道広河原登山口より山頂、杉の木谷登山口下山、単独

  1.昨年の11月中旬の予期しない雪のために、途中で登山を断念したコースに再度、挑戦した。今回は、前回の教訓から、タクシーの配車を砥用町から矢部・浜町へ変更したこと、そして下山時のために折畳みの自転車を東京から持参するという計画へと変更した。熊本交通センター発のバスの時刻が早いこと、広河原登山口までのタクシー代が1,000円ほど安いこと(今回は5,840円)、最寄りの内大臣橋入口のバス停までの距離が12キロ以上あり、下りに3時間以上時間がかかったこと、などが理由であった。

予約したマルハタクシーの営業所は、矢部・浜町のバスターミナルから
2030歩の至近距離にある。タクシーの運転手さんに言わせれば、帰りを予約するのが一般的であり、自転車を積み込んだ登山者は初めてとの見たとのことである。

2.内大臣橋を渡り終えたところから舗装が切れて悪路になる。なお、熊本県側のトイレこの橋を渡った公園の先にはない。(宮崎県側は長谷登山口に至る林道の入り口にある。)矢部を出てほぼ1時間で、広河原登山口に到着。付近は10台前後の駐車スペースがあり、マイカーによる登山が一般的になっているようである。

営林署が手を入れた杉の人工林の中に電光形につけられた急登から、標高差約
800mの登山道がはじまる。5分も歩けば、山頂まで4キロという標識に出合うが、この距離標識は1キロ毎(最後の500mのみ100m毎)につけられているので目安になる。途中崩落した崖の上をトラバースする危険な箇所があるが、ロープも張られており、慎重に行動すれば問題はない。

その後スズタケが現れ、眺望のきかない道を登山口から
40分も歩けば、杉の大木の下にベンチが設けられた一服するには丁度よい場所に到達する。スギの人工林も終わり、ここから先はブナの混じる混交樹林帯となり、山頂手前の一部区間を除いては傾斜も緩やかになる。

3.ベンチの先を少し登ると、道は下りはじめ間もなく小沢に出合う。都合6本の沢を横切るため、水の用意は少なくとも済む。最後の沢までは、登山道は急斜面を横切るようにつけられており、小気味よいアップダウンを繰り返しながら、徐々に高度を上げていく。桂の木が目印となる4本目の沢が最も大きい。地元の登山者に聞いたところ、この時期には天然記念物であるベッコウサンショウウオが産卵をするために出て来るそうである。ためしに、落ち葉や石をひっくり返してはみたが確認できなかった。

この沢の少し上で、残り2キロの表示。この区間には、ミツバツツジがピンクの、ノリウツギが白の花を満開にして咲かせていた。沢から離れると登山道は、進行方向を南から東へと変え、再びスズタケの中を行く。途中、京丈山・平家山方面の道の分岐を分けて少し行くと残り1キロとなり、稜線が緩やかになって、あたりが開け始める。この付近から上はツクシシャクナゲの群落が見事である。多くはまだ蕾の段階であったが、山頂近くの日当りのよいところでは、はや3分咲きとなっていた。

国見岳は今週
510日が山開き、県外からも多くの登山者で賑わうそうであるが、その頃にはようやく見ごろとなっていよう。山頂の手前で下山にとる杉の木谷登山口の分岐に出れば、頂上は指呼の間にあり祠も目に入る。

4.山頂では15人前後の登山者が休憩していた。深田久弥は「日本百名山・黒岳」の中で、「たいていの山は・・・何か人気くさいものを見出すが、黒岳からの眺めは全くそれを絶っている。四周すべて山である。」と記しているが、国見岳からの眺めも同様である。平家の落人伝説が残るだけのことはある。ここから見た山は、わずかに市房山を除いてすべて未知の山々である。

5.下山路にとる杉の木谷登山口は登りがやや急な分、500mほど距離が短い。このコースの水場は頂上から300m下った長谷との分岐点に1箇所ある。明るい登山道をぐんぐん下ると、廃屋となった営林小屋が見え、突如林道の跡にでる。平坦な道を500mも進むと、登山道は杉の人工林の中をジグザグにつけられた薄暗い山道となる。これを急降下し、大きくなる谷の水音を聞きながら進むこと約15分で、杉の木谷登山口に飛び出す。
右手にさらに
15分も歩けば、広河原登山口に戻る。後は、登山開始前にあらかじめ組み立てておいた自転車に乗り、ブレーキをかけ続けで慎重に林道を下ること約1時間、売店のあるバス停に到着した。なお、この林道の椎矢峠より先の宮崎県側は多少とも道が好いとの話を聞いたが、JR日向駅から椎葉経由のアプローチが極端に長いのが難点である。この椎矢峠は1,400mを越す九州随一の峠であり、さらには未舗装であるため、ツーリングのバイクやオフロード車の通行量が意外に多いことにも注意したい。

6.    コースタイム:広河原登山口(45分)杉の木下のベンチ(35分)ベッコウサンショウウオのいる沢(30分)京丈山方面の分岐(30分)国見岳山頂(1時間)杉の木谷登山口(15分)広河原登山口(山頂での休憩を除く・合計3時間25分)

(後記・花便り)

55日、九州第二の峠である牧の戸峠から久住山を2時間半ほどで往復してきましたが、

沓掛山までのコンクリート道の両側にはドウダンツツジの花。沓掛山から扇が鼻までの草付きにはハルリンドウの群落。なお、ミヤマキリシマの花は、売店の植木鉢にのみ見られます。

                                                                                                             (中野 記)


    今年初めて「心の山」丹沢 大倉尾根ー塔の岳へ日帰りで行って来ました

                    2003.1.18     田 添  正

 連日の新年会で飲み過ぎた身体に喝を入れるべく2時間遅れで大倉登山口を10:10にスタート 毎朝の階段昇降のトレーニングの成果で身心共に快調 10:55大倉高原「山の家」のオヤジさんに新年の挨拶(青柳さんも時々コンサートを行う)

 駒止小屋を過ぎ、2本目12:00富士山の見えるいつもの場所で昼食 花立直下で3本目 上空には15・6もの色とりどりのハングライダーが気持ち良さそうに乱舞 している。

 花立山頂から「金冷やし」はアイスバーンで緊張する。金冷やしから山頂までは雪に変わり雪山気分を充分満喫し13:58に塔の山頂へ立つ。尊仏山荘の主人「花 立さん」に新年の 挨拶 暮に台湾の報告書を渡していたのでお礼を言われた。

 山荘で展示・販売をしている「山小屋の主人の炉端話」東京新聞出版 工藤隆雄 著 笑い、感動、そし涙・・・山小屋の親爺たちの山の物語 全36話 主人 花立氏にサインをしてもらい購入した。

 第1章 ネバーギブアップ トップは丹沢・尊仏山荘 花立氏。大学卒業後 刑務官を9年勤めたあと小屋番になって6年です。「片足をガンにおかされ切断した女性が、恋人と2人で山荘に来て、それからたびたび尊仏山荘を訪れ、2人が結婚し子供も生まれた、その女性はハンデーにも負けず「すごく明るい」人で彼氏も教員志望から福祉関係の仕事に変更し彼女と結婚した」という出会いの話など、なかなか感動する文章です。花立氏とは5・6年の付き合いになります。

鍋割山荘の「草野さん」も書策小屋の渋谷書策さんの話も掲載されています。

大倉尾根は心の山であり、身心共に自分の健康状態を知るトレーニングの山でもある。
早朝5時から毎日トレーニングを積んで、月に最低1回は行くことで自分のコンデションを知ることが出来かつ富士山・海外の山に登るためのトレーニングの場でもある。

 
 田添の夢 還暦までに実行したい海外登山

 @南米大陸の最高峰「アコンカグア」6959m
 Aヨーロッパ大陸の最高峰「エルブルース」5642m
 Bヨーロッパアルプスの最高峰「モンブラン」4807m

 以上、体力と予算と休暇が許せば夢・目標として実行したい

              2002年12月27日〜2003年1月3日

北アルプス/明神岳南西稜〜前穂、奥穂〜大キレット〜南岳〜横尾尾根下降

メンバー:大木信介(信大学士山岳会)、谷口ケイ(京葉山の会)

  穂高連峰、塩ラーメンへの道(モチベーション完全復活への道:起)

サイコーの2003年を迎えるために上高地へと出かけて行くことになった。まだ、出会って3度しか顔を合わせていない二人の不思議にも爽快な山旅は松本を出発点として始まった。居酒屋チベットの荒木さんに下山したら極美味の塩ラーメンを食べに来ることを約束して。

  2002年12月27日(金)

この日は食糧、装備を整えてBOND君の車で上高地まで。村営ロッジ越冬小屋でのんびりと過ごしながら重過ぎる装備を再確認してもう少し軽量化を試みる。

古いせんべい布団で眠る。う〜寒い!

  12月28日(土) 晴れのち夕方曇り雪

5:00 起床。ごはんと漬物、味噌汁をしっかり食べて、テルモスには濃くて甘いココアを入れてみた。

6:10 出発。岳沢への登山道にはDAAC(防衛大)のトレースがある。ラクチン。

7番看板のところでDAACのBC発見。この先30分程登ったところでDAACに追いつく。8人パーティだが、3人がFIXを張るため先行しているとのこと。更に30分程で先行の3人に追いつく。ラッセルに苦戦している様子。ワカンをはめてラッセルを交代、先に出る。BONDラッセルめちゃめちゃ早い。伊達に信大山岳会で育ってないと実感させられた。しかも彼のラッセル後は歩きやすい。サスガだ。

X峰への道のりは遠い。三角岩峰辺りの岩稜にはボロFIXが残置されているが、ノーロープでも行ける。結構楽しい。久しぶりになんだかとても気持ちがいい。

13:15 更にしばらく登って、ようやくX峰。天気良好。大パノラマ。最高!感動しながら歩いていく。

14:00 岳沢側をトラバース気味に登り、W峰を越える。

14:30 V峰。岳沢側から岩稜を登る。ピークからはなかなか渋いクライムダウンとトラバース。「立岩で鍛えたアイゼンワークなら大丈夫だよ」なんて無責任な自信を持って声を掛ける。後でBOND君には「こんな所うちの部だったら絶対懸垂だよ」と言われてしまうが、力があるなら冬山は迅速な行動が要求されるのだからいちいちロープ出さないで済むならそれに越したことは無い、ということで今後の長い行程中、渋いクライムダウンを何度も経験することになるのだった。

15:00 U峰のピークに立つ。北側の岩峰の残置シュリンゲに一本残置を追加して、50mの懸垂でT・U峰間のコルに降り立つ。時間的にも今日はここまで。風が冷たくなってきた。指先が痛い。雪庇に用心しながらテントサイトを整地する。だんだん風も強くなってきた。

16:00 小さなゴアライトに2人もぐり込む。あー、ほっと一安心。狭いテントの中でもぞもぞと動き、なんとかボタージュを胃に流し込んで気分復活。スープひとつで心も体も温まるなんて、雪山だけの幸せだ。こんな幸せな瞬間が大事なのだ。

2人ちびっこで良かった。このテントでもなんとかなるもんだ。狭くて大変だけど、その分暖かいハズ。

はツナそぼろご飯

  12月29日(日) 小雪+風→夕方晴れ間

5:00 起床。シュラフとカバーの間に雪がたっぷり積もっている。ひぇ〜。

夜じゅうすごい風だった。テントの外は真っ白。ヤル気がそがれるなあ。それでも朝ごはん食べて、お茶を飲んでいるうちに風もやわらいできた。 ラーメン+もち

行くかぁ。テント撤収にそれなりに時間がかかる。T・Uのコルのテントサイトなのでそんな優雅なスペースでもない。あぁ手が冷たい。

7:30 ようやくテント場出発。

7:45 明神岳主峰ピーク。ここからが長かった。奥明神沢のコルへの下りは結構シブく、懸垂の支点が2箇所あったが何だかんだ言いながらクライムダウンしてしまった。

更に前穂へは、岩の稜線を雪庇にビビりながら歩いたり、岩峰を巻いて深いラッセルトラバースの繰り返し。近くて遠い前穂のピーク。

11:00 前穂ピークにようやくたどり着く。あー感動。北尾根が見える。振り返ると明神岳は・・・今はガスの中だ。

そしてここから更に長い道のりが始まるのだった。甘く見ていた吊尾根。岩稜と雪庇の稜線を歩いてはクライムダウンして、トラバース、そしてまた雪壁を登っては岩の稜線を往く。一回懸垂20m。雪もズボズボのラッセルだったり、クラストしていたり。時々夏道がうかがえるが、いやらしいトラバースで雪崩が恐い。稜線を辿るように行くも雪庇がかなり発達していて要注意。

東の空は晴れてきて、常念の姿が白く聳えている。北尾根、そして時々明神岳の姿も背後に見えている。しかし、私たちの行く先はガスの中。奥穂はどこにあるのだろう。もう随分歩いた。BOND君がひたすらラッセルしてくれた。ついて行くだけなのに非常にお腹が減りまくる。今日の行動食を食べ切った後にお腹がグ〜〜って鳴ったのには参ったな。15:30 ひたすら雪壁を登った3071mのピークで奥穂を断念。もうすぐ山頂だろうと思っていた矢先、目の前に巨大な雪庇をたくわえた雪壁が立ちはだかったのだ。

あー、無念。今日は穂高岳山荘の冬期小屋で凍ったものを乾かす予定だったのに。あー、無念、を繰り返す2人。それにしたって、目の前のデカイ雪庇を張り出している巨大な雪壁を越える気力は今の2人にはどうにも無かったのだ。

P3071に最高のビバークサイトをつくる。空は晴れ渡り、サイコーの色に染まっている。松本の夜景と三日月と満天の星空。寒い夜。凍りつくような夜。

は赤飯+すまし汁

  12月30日(月) 晴れ→うす曇り

5:00 起床。寒くてイマイチ熟睡できなかったな。足先が冷たい夜だった。でもテントの外は風も無く、満天の星空。

はラーメン+もち

とっても寒いので、少しカラ炊きをしながら朝食と準備。

7:00 テントから出ると八ヶ岳の後ろから朝日が昇る。富士山がデッカイ。とても冷え込んだけれど風も雲も無く、神聖な朝の光が北アの空全体に広がっていく。

7:15 P3071雪庇ぎりぎりのテントサイトを撤収して出発。さあ、目の前にそびえる雪壁に向かうぞ。縦走装備での雪壁登りはコワイ。大の苦手パートだ。でもそれを越えたらもう奥穂のピークは近い。

7:45 奥穂ピーク。穂高岳山荘への下りは途中、2回雪壁のクライムダウン。

8:30 念願の穂高岳山荘に到着。小屋にいたのはNHK冬山取材班の3人。彼らが小屋を去ろうとした時に、ようやくやってきた最初の登山者である私たちを取材することになった。ラッセルと岩場の撮影。そしてお茶を一緒に飲んだ。カメラマンの米山氏は北大出身、サポートの杉山氏と前原氏は信大出身。しばらくおしゃべりをした後、青空の涸沢岳へと戻っていく3人を見送る。その後、何故か冬期小屋の隣でテントを張っている福岡大山岳部の学生と話す。天気悪くなるんだから小屋に入りなよ。

昼過ぎ だんだん天気が悪くなってきて、気づいたらホワイトアウト。小屋にも続々と人がやってきた。ほとんが涸沢岳西山稜から。私たちを入れて、小屋は総勢9名となった。

小屋に置いてある余りの食糧をいただいて、はスープパスタ。

  12月31日(火) 小雪

5:00 一応起きるが、外は真っ白なので停滞を決め込んで再びシュラフにもぐり込む。槍まで縦走するという佛教大山岳部OBの2人組は出発するらしい。気合が違う。

7:30 外が明るくなってきたので外へ出てみるが、頭上に青空が見えるが他は変わらず真っ白。風は無いが、ラジオによると天気は悪くなる様子。われらは停滞モードで、のらりくらりとシュラフの中でうだうだする。小屋にいた他の2人組は奥穂へ出掛けていった。福岡大生も奥穂ピストンの様子。

11:30 年明け後も天気が悪いらしいという誰かの話で、他の小屋泊者たちは皆下山を決めて続々出発していった。換わりに登ってくる人もいる。天気が悪くなると知ってのことだろうか・・・? 小屋の脇でテントを張っていた福岡大生もようやく小屋に移動してきた。学生5人+私たち2人で、ココアを飲んだり、もちを食べたり、お茶をしながらいろいろ話す。現役学生との交流ってのが新鮮でまたよろし。BOND君は他大山岳部生と話をするのがとてもうれしい様子。

16:00 天気図を書くと日本の周りに低気圧が4個もある。こりゃ大荒れだなー。明日は絶対北穂には行こうと気合い入れていたのにどうも明日も動けない気配。それじゃ今夜は紅白でも聞きながら愛について語ろう・・・ってことになるのだった。アンド大晦日だから2003年の目標を考えることにする。

  2003年1月1日(水) 快晴

元旦の天気はいったいどうなるのだろう・・・天気図では悪そうだけれど、外は風も無くおだやかな様子。目覚ましが鳴る前からなんだか目が覚めていた。

5:30 起床。外は満天の星!風も無い。行ける!! パスタ+わかめご飯 

6:40 穂高岳山荘出発。涸沢岳の頂上で初日の出を見たかったけどちと間に合わず。涸沢岳の斜面で明るく輝く初日の出を拝む。眼下は雲海。360°周りの山が全て見える。真っ白な山並みが東西南北はるか遠くまでくっきりと見えている。そして白い山が赤く染まり出した。すごいすごい。後から登ってきた福岡大生達の顔も赤く染まって。完璧な2003年の幕開けだ。さい先いいぞー。今年はきっとい年だ。嬉しくってたまらない。

涸沢岳ピークから槍ヶ岳を拝んで、さぁいよいよキレットへの道が始まる。出だしにまずボルト2個で25mの懸垂。トラバースからクライムダウン。2回目の懸垂は残置シュリンゲのある岩にシュリンゲを一本追加して20m。そこが涸沢槍のコル。槍に登り返して滝谷側をトラバースしていく。クライムダウンと岩稜の登り返しを繰り返す。滝谷を見ながら。松涛岩の下りでもう一度懸垂20m。これは残置ハーケンを使った。

10:20 北穂ピーク。サイコー! 無風快晴で相変わらず360°の大パノラマ。春のような陽気だ。

北穂小屋からの下りは長い雪壁のクライムダウン。トラバースしていって岩に残置されたシュリンゲで懸垂。ロープ一本で懸垂したが、その後のクライムダウンが渋かったのでロープ2本出したほうが良かった。40m懸垂すればクサリ場まで降りられる。

トラバース、クサリ、渋めのクライムダウンの繰り返し。途中で佛教大の2人組に追いつく。彼らはキレットまでロープを出していた様子。確かに途中のクライムダウンは結構緊張する。キレットまでもう少しのところで最後の懸垂。残置ハーケンにもう一本打ち足して、25mいっぱい。

13:30 キレットで休憩。ここから佛教大組が先行。南岳への登りもそう楽じゃない。疲れているときの雪壁登りは本当に辛い。恐い。苦手だな。それでも青い空を眺めながら、白い山々を眺めながらのんびり進む。

15:20 南岳小屋に到着。そのとたんに白いガスがやってきて、みるみるホワイトアウト。なんていうタイミングなんだろう。早速4人で南岳冬期小屋に入る。中は真っ暗。広くは無いが、4人には十分なスペースがある。小屋の中にトイレもある。残念ながら携帯電話は通じない。のんびりとお茶にする。明日は横尾尾根を下るだけだから、今日はゼイタクにスープ類を飲む。

はとりそぼろごはん

佛教大の彼がニシンの干物をくれた。あぶって食す。とってもおいしい。こうして元旦の一日が暮れてゆく。

それにしたって今日という日はなんて素晴らしかったんだろう。一日中信じられないくらいの青空で、飛騨側からの風は気持ちいいくらいだった。日本中の全ての山が見えるのではないかという程沢山の山を見ながら歩いた新年の一日。

  1月2日(木) 吹雪のち晴れ、強風

夜は小屋テントでぐっすり眠れた。しかし夜半過ぎからすごい風が冬期小屋にたたきつけていた。

5:00 起床。佛教大の2人は4:30起きで準備をしている・・・が、外はものすごい風で小屋から出るのも一苦労。音だけでなく、外は本当に風雪だ。

は明太子パスタ

7:00 しばらく出発を見合わせることにする。

8:00 実は風の音がすごく聞こえるだけなんじゃないか、ということで4人外に出てみるが、直立できない程の風で目も開けていられない。私は小屋から一歩足を踏み出して早くも撤退を決める。

早速パッキングした荷を開いて、再びそれぞれテントを張る。足も手も指先が冷たい。火をつけてそばを食べて温まる。

9:10 天気図を書くBOND。ちくしょー、書いたって全然天気読めねーよ、もぉヤダ!と言いながら書いている。

10:00 まさに気圧の谷が通過しているようなものすごい風。下界の天気予報では昼から晴れるらしい。底冷えするのでついにシュラフを出してもぐり込む。やっぱりシュラフの中は暖かい。ひたすらFM長野を聴く。早くも寝息を立てているBOND君。あー、今日は停滞かなぁ。それにしても昨日ここまで来ていて良かった。北穂小屋なんぞにいたら進むことも退くこともできないものなー。

12:15 佛教大の2人組が出発する。今日は槍まで向かうとのこと。天気はとても良いようだが、強風は相変わらず。私たちは、今から出発しても3時間しか行動できないのでは中途半端なところでテントを張らなければならなくなるだけなのだからと、今日は腹をくくって停滞と決めてシュラフにもぐり込んだまま。明日はきっといい天気だから頑張ろう。

16:00 風の音は相変わらず南岳小屋をたたいているが、夕日を見ようと2人で靴を履き、装備を万全にして外に出る。冬期小屋の入口に雪が吹きだまってなかなか戸が開かない。外に出てみると素晴らしく良い天気だ。ただし暴風で、立っているのも大変。そんな中ケルンまで歩いていく。

槍が見える。穂高も見える。周りの山々がくっきり見えている。西に大きな夕日が輝いているけれど、西風が強くて見たいものが思うように見れない。風に背を向けて山の稜線を眺める。稜線の雪が風にもて遊ばれているようにぐるぐる回って流れていく。空に向かって飛んでいく。白い山の稜線が赤く染まってくる。空の色も薄い青に、紫に変わっていく.

BOND君が写真を撮っている間、山と空と風の姿を眺めていた。寒くてたまらなかったけれど、至福の時だった。ゼイタクな時間だった。風が強くて立っているのも大変だったけれど、ずっとそこで移りゆく色を眺めていたかった。今日出掛けていった2人は無事槍に着いただろうか・・・ 私は、今日出掛けなくて良かったと改めて思った。こんな風じゃ、絶対凍傷になっていたに違いないものね、とBOND君と話す。

小屋に戻って改めて冬期デポを物色すると、賞味期限の切れたチョコ、クッキー、レトルトカレー、キムチもつ煮、うどん、α米、etc.そして白ガスが出てきたので有難くいただくことにする。すべて98年〜2000年のものだ。何でこんな古いものが残ったままなんだろう。下手したらただのゴミだ。そんなわけではもつ煮うどん+カレーうどん

α米は次の山行用に、ウイスキーは下界に下りての乾杯用にいただいて行くことにする。荷は減るどころか増えているんじゃあないだろうか。先日まで、こりゃ痩せるなぁ、なんて言っていたのに今日は食べてばかりでこりゃ太るなぁ。雪山に来てエネルギー補給してるなんて、ヘンな2人なのであった。

  1月3日(金) 晴れのち吹雪

4:30 起床。まだ外では風の音がしているが、昨日のような強風ではない様子。何はともあれ今日は絶対出発するのだ。 ラーメン

6:15 2人、更に重くなったザックを背負って冬期小屋から這い出る。まだ暗いのでヘッ電をつけての出発。風に顔を向けると呼吸が辛いけれど、歩くには問題なし。

後から確認したけれど、南岳の稜線は5m以上はあるだろう大きな雪庇ができていた。飛騨側をトラバース気味に歩いていく。

6:45 横尾尾根への分岐。東の空が赤くなってきた。正月三日目の新しい朝だ。雪壁をクライムダウンして横尾尾根へトレースする。天狗のコルへの下りの途中で、八ヶ岳の向こうから真っ赤な朝日が昇ってくるのを見つめる。恐ろしいくらいに赤く輝いていて不思議な光景だ。美しいけれど、天気が崩れる兆しだ。

7:15 天狗のコル。ここから8峰への登り返し。稜線を振り返ってみると、槍にガスがかかっている。見る間に稜線をガスが越えてくる。雪がチラチラ舞い出した。あー、いつもより早く出発して本当に良かった。一時間遅かったらホワイトアウトだったな。

8:00 横尾の歯(7〜6峰間)。FIXロープが見え隠れしている。所々シブいクライムダウンや岩稜トラバース。

8:15 6峰

8:30 5峰手前の台地で休憩。すっかり雪雲に覆われてしまった。目の目に屏風岩を望み、右岩壁の巨大な大氷柱を眺める。

4峰の岩峰を越えて小さなコルに立ち、目の前のヤブ岩峰を巻いたりするよりはここからガリーを駆け下ろう、ということにする。どうもこれが3のガリーだったようだ。BOND君が先に駆け下っていく。途中からシリセード・・・加速していったところでナメ滝を認めて左岸の小尾根に移る。潅木の中を下って、25m2ピッチの懸垂で滝の下に降りて、そこからまた駆け下り&シリセード。

10:00 横尾谷に降り立つ。目の前の右岩壁にトレースがある。誰か登っているんだ。

14:00 上高地河童橋に戻ってきた。 ここまで来たからには、今日中に松本まで帰ろうということになり、釜トンネルまで車を取りに戻って、大雪となった上高地を去る。

 

松本もこの日は大雪だった。「ファインビュー室山」温泉を経由してそのままチベットの荒木さんのところへ行く。が、なんと念願の塩ラーメンは正月三日の間に売切れてしまっていた・・・塩ラーメンへの道だったのに。このままでは我らの山行は終われないよぉ。それでもこの日は美味しいお刺身と荒木さんの山形特製お雑煮をいただき、赤ワインで乾杯をした。すばらしい正月。

  1月4日(土)

松の湯にて優雅に寝過ごす、という予定だったのに山モードの2人は早朝に目が覚めてしまうのだった。今日やらなければならないことは一つだけ。

チベットで荒木さんの塩ラーメンを食べる。魚ダシのあっさり塩ラーメン。

今日も雪がチラチラと舞っている松本の町。本当に昨日さっさと山から降りてきて良かった。もし昨日の下山が遅れていたら、私たちの塩ラーメンはまだずっと先になってしまっただろう。いつも空腹だったけれど、毎日がお腹いっぱいの山旅だった。明神岳の岩峰も、前穂〜奥穂への長かった吊尾根も、そして大キレット越え、横尾尾根。停滞と行動のタイミングは絶妙で完璧だった。停滞中は沢山のことを考え、行動中は一切の邪念が無かった。

  こうして穂高連峰、塩ラーメンへの道は終わり、新年が始まった。 充電した今、次の山へ出掛けよう。

  装備

60gザック、ドロワット上下、プラブーツ、シュラフ(デナリ)、エアマット、コッヘル小、テルモス、ビーコン、バイル(クオーク)2本、アイゼン(カジタ)、ハーネス、メット、シュリンゲ6本、バラビナ6枚、ハーケン2枚

ロープ9mm2本、ゴアライト1、ドラゴンフライ、白ガス3.5g、小鍋

 

                       正月の山荘日記

                          2003.1.5     田 添  正

12月31日は、元旦の雪山登山に備え21:30には床に着く 山荘での越年は20数年振りである。テレビ紅白無視!

2003年元旦 快晴穏やかな新年を迎える。緒方ファミリーの雑煮とお屠蘇をいただき山荘前で記念写真のあと、雪の上州武尊山登山へ11:00出発

温かい、道路も雪解け水が流れている。上の原高原登山口より、本格的な雪山となる。かすかにトレースはあるが早くも膝までのラッセルである。

正午、1本目、雪を抱いた谷川連邦・朝日・奥利根の山々が快晴に映える、スケールの大きな展望台だ。
独りで黙々とラッセル、荷が重い汗ばむ!林道を3分の2位の地点で、トレース全くなくなる。今シーズン積雪期の登山者ゼロの証拠である。新調したアルミの輪環が威力を発揮する。

15時10分前に本日の目的地林道終点に着く。サイト地探しと明日のための、ルート工作に約1時間を費やす 沢に落ち 上がるのに20分もかかる。

積雪約150cm誰も入ってない真っ白な処女雪を掻き分けながら懸命のラッセル ルート工作樹林帯に囲まれた絶好のサイト地を整地する。夕日に染まる 谷川・朝日奥利根の山々を眺めながら独り夕食と晩酌のあと関係者に携帯で新年の挨拶状況報告のあと19:30シュラフに潜りこむ。

満天の星空が一変し、さらさらとシンシンと雪が降り出す。1月2日1:30起床 カップラーメンに餅とキャベツを入れビバークも想定した完全装備で、3;30分出発

星空に中から雪が舞い落ちる。トレースなし沢を右に左に慎重にルート工作 1歩を踏み出すのに2・3回踏み固め足場を作る。膝から腰までのラッセルとなる。

4:30小休止 あんぱん・羊羹・みかん・りんご・お茶雪本降りとなる。5:00帰りのことも考え「勇気ある撤退を
決断」登りテントから1時間半下り15分である。

5:30雪に埋もれたツエルトを掘り起こし仮眠を採る。7:00明るくなったので、ツエルトを撤収パッキング
8:30スタート 昨日作ったトレースもかすかに残るだけ

大雪の中でも木の芽がツボミを膨らませている。5月春が来るまで辛抱強く雪の中で絶える「つぼみ」に感動し思わず「くちづけ」をして励ます。

20数年前の正月合宿(尾瀬 至仏山・南ア荒川3山・北ア霞沢)の思い出が甦る。1泊2日の充実した雪山体験を再現、新年にふさわしい素晴らしい山行であった。

11:00上の原登山口トレース完全に消える。
11:20上の原山の家へ新年の挨拶と下山報告。
11:40武尊山荘着。山荘の存在を再認識する。

夜は三田村・星野ファミリー・佐藤OBで藤原温泉のあと新年会 生活習慣病対策で80%の自主規制
1月3日 終日スキー 大学駅伝応援

夜ジヤンダルムグループと合流!新年会。生活習慣病対策で80%の自主規制 放歌 
4日 昼過ぎに下山 充実した4泊5日の山荘日記。

                                              武甲山−1,295m(埼玉)山行記録

平成14113日(日)天候・快晴、気温 山頂15度程度 

ルート:横瀬駅より表参道経由山頂・帰路は裏参道を通り浦山口駅へ、単独

1.     武甲山をはじめて目にしたのは、7年ほど前に両神山を訪れるその途中のことであった。電車が正丸峠のトンネルをようやく抜けて秩父盆地に入ってまもなく、車窓の右側に山腹を削られた大きな山がみえたので思わず地図を取り出した。それが武甲山との出合いであった。

武甲山は石灰岩を主体とする山なので、古くからこの地にはセメント産業が栄えた。セメントは土木・建築素材には欠くべからざるものであり、文明開化以来現代の日本の発展の土台を担ってきたわけであるが、現況はその環境破壊という副作用を万人に明らかにしている。

2.         西武鉄道の特急も停車する横瀬駅前では、朝9時近くになっても営業している商店がない。飲み物の自販機があるだけであり、昼食を現地で調達しようとしたあてが完全にはずれてしった。この先にも道すがら商店はなく、生川にかかる橋を渡ったところにあるセメント会社の事務所脇に飲み物の自販機があるだけだった。

しかたがないので、昼食は下山後または持参の非常食とあきらめ、鉄道沿いの道路を行く。道中改めて見上げる武甲山は大きく、登高意欲をそそる。ダンプカーがせわしく行きかう道を歩くのは心地よいものではないので、駅前からタクシーを利用するのも手である。(バスの運行はない。)

50分もあるくとようやくセメント工場もなくなり、南斜面の紅葉を眺めながら、別荘地を左手にやり過ごすと御岳神社表参道入り口に至る。妻坂峠への道を左手に分けるここには一丁目の標識があり、五十二丁目の山頂を目指す登山道が始める。

自動車が
10台以上おけるスペースもある。なおトイレはこの少し先、釣堀(養魚池)にある。養魚場を抜けると杉の樹林帯の山道らしい雰囲気となるが、依然として舗装がされている。小滝のかかる十八丁目が最後の水場で、ここから右手へと登りだすと舗装がようやく切れる。

ここからの傾斜はすと昔から信仰を集めてきた神社への表参道だけあって、倒木が所々邪魔をするほかは、黒土に落葉が積もったクッションがきく歩きやすい整備された道である。登山道は南斜面の山腹を右手へと緩やかに登ってゆく。

道はジグザグにつけられるころから、下草に笹が現れはじめ傾斜がやや強まりだし、三十八丁目の丁目石を見るとまもなく標高
1000mの大杉の広場に飛び出す。四十二丁目石から先は、道は急傾斜の階段となり、杉林もようやくまばらになり開けた眺望にも励まされて上りついたところが、十字路の分岐点である。

山頂神社が視界に入り、分岐から
5分も登れば三角点のある鐘撞堂、その裏手に第一展望台があり、ここが現在の頂上である。展望台からは両神山が指呼の間にそびえ、雲取山や甲武信岳、赤城山が望めた。遠く谷川連峰やその奥の上越の山々はもう雪化粧をしていた。(第二展望台は左手にフェンス沿いに2-3分下ったところにある。)山頂には雨水を利用した立派な水洗トイレがある。分岐点から山頂付近にいた登山者は30人程度で、このくらいが丁度いい。

3.         昼食がないので、展望を楽しんだらそそくさと裏参道から下山する。裏参道はきわめて急傾斜であるが、予想外に登山者が多い。長者屋敷の頭までは、西側の眺望のきく登山道であるが、落雷がしばしばあるようで退避所が7箇所設けられている。長者屋敷の頭で道は二分するが、裏参道はここから2分の水場を経由しない尾根伝いに行くコースであり、こちらを採る登山者のほうが多いようである。

このすぐ下の日当たりのよい斜面にフデリンドウが二輪、行く秋を惜しむかのように最後の花をつけていた。この付近にはその他にノアザミ、アキノキリンソウ。馬の背にあたるこのあたりの傾斜が裏参道ではもっとも緩やかになる。再び傾斜を増した尾根道もすぐに終わり、右折して暗い杉林の中につけられた電光形の道を下ることしばし、先に別れた道と合流し、程なくして裏参道登山口となる。

ここには
5-6台は駐車可能である。この先は一部舗装された林道を橋立川沿いに下るが、石灰岩の絶壁が見えると馬頭観音のある橋立寺も近い。橋立寺は秩父34ヶ所札所のひとつ、28番石竜山橋立寺と呼ばれており、今年は12年に一度の午年総開帳が11月末日まで行われているため参拝客が多かった。

橋立鍾乳洞もここにあり入場料は
200円。橋立寺から秩父鉄道浦山口の駅までは徒歩10分の道のりで、秩父民俗資料館がその途中にある。(こちらは無料)浦山口の駅前にセブンイレブンの店舗があり、昼食を購入できることがわかった。

4.         コースタイム

登り:横瀬駅(70分)一丁目登山口(50分)大杉の広場(30分)武甲山山頂 (計2時間半)

下り:武甲山山頂(20分)長者屋敷の頭(25分)分岐点(5分)裏参道登山口(30分)

橋立寺(10分)浦山口駅 (計1時間半) (山頂での休憩と参観を除く)

                                                                                                                                     (中野 記)

                              台湾「玉山」登頂に成功!

                                      三田村 孝尚

 ヤッター 玉山 山頂である。平成14年8月9日 午前5時30分

「寒い!」・「強風!」・「ガス(霧)がひどい!」 想えば長い道のりであった。 4年前、田添氏が台湾旅行より帰った際、「なんとかOB有志で、玉山登頂と留 学生を訪ねて台湾に行きましょう。」と言うことから、今回の話しがはじまった。

 玉山登山口の石碑のある塔塔加鞍部より、登山の始まりである。なだらかな 細い道が長く続いている。

 先日の台風の余波で大岩が道をふさいでいるのが見える。排雲山荘まで、約 5時間の行程である。登山ガイド紅氏、陳氏と合流!崩壊した急斜面を慎重に 通過。そのあとの登山道は良く整備されており歩きやすい。

 ガス(霧)が深く、風も強い、雨になるかも知れない。3000m近いのに 樹林帯であり、道沿いには「コケ桃」や「鳳仙花」(日本のものとは少し違う様 だ)「小百合」等が咲いており、疲れを癒してくれる。

 孟禄亭を過ぎ前山口で、登山口よりついて来た2匹の犬と共に昼食。紅氏がデポしておいた水で湯を沸かし、お茶を飲む。うまい。3杯も飲んでしまった。

 歩き始めるとやはり雨が降り出し、この日の為に購入した「ゴア」の雨具を 着ける。かなり冷えて来たものの雨具を着けると、結構暖かい。西峰小屋を過 ぎ樹林の中を行く。3000mを越えても、大木が多くあり、いわゆる原生林 の様で、日本とは異なる山容である。紅氏は日本版の高山植物の本で道沿いに 咲いている花の説明をしてくれるが、細かく比べると少し違うように思われる が、いろいろな種類の花が目につく。

 登山道には500mおきに標識があり、目安になる。ゆるやかな登山道を行 くと目の前に、「大スラブ」の素晴らしい一枚岩が現れる。脇の道をしばらく行 くと、山荘まで1.5kmの標識。荷物の重さが肩に食い込んで来る。あとひ と頑張りである。雨もしだいに上がり、太陽がときどき顔を出す。水の流れる 登山道を行くと石段が始まり、木の間越しに山荘の屋根が見える。石段の登り は結構きつい。

 着いた!3400m、排雲山荘 15時55分着 先着グループと握手。 16時 全員山荘着 寒い!防寒着を着込む。天候晴れ、ガスは晴れるが、風 は強い。夕焼けがきれいだ!明日の天気はどうなるか?気になる。

 山荘は、水道、洗い場、トイレ等完備しており、管理も行き届き快適である。 食後、山荘の外に出てみると、満天の星、そして「天の川」

 翌日、(8月9日)午前2時30分起床、傅氏、紅氏、陳氏 用意のキャベツ入り卵スープ。身体が暖まり、うまい!午前3時12分 出発 .。山荘からの登りは、つづら折りの山道、真っ暗な中にヘッドランプの光に照らされた大木が見える。3400mを越えているのに、この樹林帯はすごい。

 先頭を歩く紅氏の「星影のワルツ」の口笛が聞こえる。当方、歩くので精一 杯で余裕無し。森林限界、ハイ松帯を過ぎ、尾根を廻り込むとガス、風共にす ごい。ガレ場、岩場を登り返すと、クサリ場の急登である。クサリは霧で濡れ ていて、手袋をしているのに冷たい。次第に明るさが増してくるのが判る。

落石防止の防護ネットのトンネルを過ぎると、頂上も近い気配。先頭グループ の「着いたゾー」の声が聞こえる。まだ、急登が続く、ガスと強風が切れ間な く体をたたく。あと一息と思い、自分自身を励ます。だんだんと空が大きく見 えてくる。岩角を乗越すと、山頂は、すぐ目の前である。

 先着の堀沢、伊澤、菊地、日向、青山、紅氏等と握手。着いた「玉山登頂!」 岩陰にザックを置き、写真を撮り合う。田添、菅原、傅、陳氏着。またまた全 員で写真を撮り合う。

 東の空が明るくなって来るが、雲にはばまれ御来光は見えず残念。一瞬ガスが晴れ360度の展望!一同歓喜の声! 全員無事登頂! 感謝感謝!

 

 

             2002夏「台湾の印象」レポート(概要・抜粋) 

 二度目の台湾「新高山」登山と校友との交流会(報告)

      日本の教育の影響と「親日的な国民性」に接して

       田 添 正(国学院大U部wv8期OB会長・法政経51年度卒)

 平成14年8月9日、早朝、台湾の最高峰「玉山(新高山)」(3952m)に2度目の登頂を達成した。今回は山仲間(昭和15・16・17・19年生れ)の還暦祝と台湾の校友との交流が主な目的であった。

16年前に富士登山で偶然知り合った校友(短大農)と次回は是非台湾の新高山に一緒の登ろうとの約束を果すことが出来た。今シーズンも7月に富士山を2往復・山頂を9周し高度順応トレーニングを積んで臨んだ。

 下山後、台北市のホテル(拓植卒経営)の地下「台湾料理店」で農獣医の校 友4名それに知人3名と我々8名で「台日友好親善交流会」を開催した。

2名の校友は、現在建設中の台湾新幹線(台北―高雄)工事に携わり、1名は造園 の自営でそれぞれ活躍していた。また、私が持参した「生物資源科学部湘南校 舎」と「六会日大前駅」の写真を見て、母校の発展振りに驚いていた。

 その後、台東から緑島・蘭嶼島へ船で渡り、蘭嶼島では80歳前後の先住民 「ヤミ族」(元日本兵)と戦時中に受けた、日本の教育と日本語について話が弾 み、日本の軍歌を次々に歌い出し驚かされた。さらに、台東の先住民「プュマ 族」の家でも70歳前後の親戚知人が集まり大歓迎を受け1泊お世話になった。

話題は、「ヤミ族」の時とほとんど同じで当時、日本の教育を受けた人(9つの先住民族)の共通語は、今でも「日本語」と聞き「教育の果す役割」の重大さを再認識し、離島へ行ってもカラオケで「日本語で演歌」が歌われているのを見て台湾人は「親日的な国民」だと感じ帰国しました。

 

                                             霞沢岳−2,646m(長野)山行記録

     平成14821日−22日(水・木)天候・晴れ、気温 山頂12度程度 

     ルート:上高地より徳本峠小屋泊で山頂往復、単独

  霞沢岳は上高地の入り口にあたる大正池のほぼ真上に位置し、焼岳と対峙するようにして聳えている。登山道は徳本峠よりの往復による他はなく、峠小屋の関係者により開かれた。徳本峠までの道は、島々宿から南沢をさかのぼる「伝統的」なルート、鍋冠山・大滝山を経由するルートおよび、そしてもっとも一般的な上高地・明神から白沢沿いを行くルートがあるが、最後のルートにて入山した。

朝8時新宿発のスーパーあずさ3号に乗れば、小屋の夕食の時間である午後5時までには余裕をもって到着できる。夏の上高地は平日といえども大勢の観光客や登山者でごったがえしており、バスターミナルから河童橋にかけては銀座や新宿の繁華街とその賑わいは大して変わらないほど混雑している。

明神までの約4キロの道のりも人の往来はひっきりなしである。明神を少し過ぎた白沢橋から右に折れて、ようやく雑踏から解放される。

徳本峠への道は、最初は自動車が通行できる広い道を白沢沿いに歩き、木の橋を渡り峠まで3キロの道標を見たところから山道となる。道はなおも涸れ沢となった白沢沿いをゆくが、やがて山腹を緩やかにトラバースして今度は黒沢沿いに行く。

途中、山崩れで登山道が崩壊している箇所があるが、ペンキと道標に導かれて涸れ沢となった黒沢の中をしばし行き、元の登山道に戻ると、道はジグザグにつけられ傾斜もやや急になる。

しかし、昔からの往来に使われた道だけに、きわめて登り易い。最初の水場にはベンチが置かれており、ここで白沢橋の分岐から約3分の2。小休止の後、なおもジグザグにつけられた道を行き、最後の水場を越えて一度トラバースした地点で、峠まで800mの標識を見る。霞沢岳の分岐をやりすごせば、小屋までは200mの距離である。この区間に、ツリガネニンジン(ヒメシャジン)、オオニガナの花。

徳本小屋は定員30人の小さな小屋であり、山小屋という雰囲気をよく残している。現在ではほとんどの小屋は発電機をそなえているが、ここは昔ながらのランプに頼っている。私は、こうした小屋を北アルプスではあとは餓鬼の小屋しか知らない。

この日の宿泊客は22名、あの上高地の雑踏がウソのような静けさである。小屋の展望台は穂高を望む絶好のポイントであり、三脚を立てている人がちらほらいる。

   小屋の朝食は6時と、山小屋としてはきわめて遅くはじまる。下山までの時間を考えて、お弁当(おにぎり)にしてもらい515分出発。その日に霞沢岳に登る登山者では、最後発となった。登山道は展望台を通る近道があるのでそれを利用する。

5分も行けば下からの登山道に合流し、すぐに急斜面に電光形につけられた道を2428mのジャンクション・ピークをめざす急登になる。シラベやコメツガの針葉樹林帯の中をゆくので、眺望はわずかに途中のスタジオ・ピークと記された場所ならびにジャンクション・ピークでわずかに、東面が開けるのみで、集中して足を持ち上げることができる。

この後は、2261mの小規模な湿地があるところまでは、ところどころに泥濘のあるゆるやかな下りとなり、高度を落とす。湿地の水は沸かして飲用に耐えられるかどうかであり、他の水場は山頂まで一切ない。湿地からは尾根道となるが、とかくアップダウンが多く時間がはかどらない。

尾根道はところどころで東側斜面がガレており、樹林の間から目指す霞沢岳がようやく望める。途中でオコジョを見た。こうしたガレ場の草付きの斜面にようやく高山植物が姿を現すので、お花見も気が抜けない。

尾根道の樹林帯にはいつしかダケカンバが交じり、花はカラマツソウ・イワハゼ。サンカヨウはもう実をつけていた。小さなコブの登りの途中の草付きにはハクサンフウロ、ウサギギク、ミヤマアキノキリンソウ、ミヤマトリカブト、ミヤマハハコ、オヤマノリンドウの花。

K1ピークへの登りはガレ場の真上にあたり、穂高方面の展望のきく西側斜面の急登となるが、ザイルがところどころにあり、いかにも無理やり「切り開いた」という感じの道である。ナナカマドやミヤマハンノキの枝や根にもすがり、慎重に登るとやがて森林限界を超えハイマツが現れ、狭いK1ピークに到達する。

山頂までは、K2ピークを越える岩場のアップダウンの道が続くが、さほど危険なといころはない。この岩場では、トウヤクリンドウの花。山頂からは、穂高連峰が新鮮な角度で迫り、焼岳・乗鞍岳も至近距離にあった。ただ、槍の穂先は穂高の陰に隠されていたように見えた。山頂付近に雷鳥の親子。

予想していたことではあったが、アルバイトは峠小屋と霞沢山頂の標高差500mのみから判断した場合より厳しかった。累積標高差は下りを含めるとその倍を超えそうである。好天に恵まれたこの日、出会った登山者は前日の小屋泊まりの人がほとんどでわずか12人。

穂高連峰の展望がすばらしく200名山にも数えられる山なので、もう少しは登られてよいだろう。帰りの明神、高た。地へと帰る道すがら、××ツアーというリボンを下げた50人以上の槍ヶ岳へと向かう団体客を見てそう感じ

    コースタイム:1日目 上高地(35分)明神(1時間20分)徳本峠 

                         2日目 登り:徳本峠(50分)ジャンクション・ピーク(20分)小湿地(1時間50分)K1ピーク(30分)霞沢岳 (計3時間半)下り:霞沢岳(30分) K1ピーク(1時間半)小湿地(40分)ジャンクション・ピーク(30分峠)徳本(計3時間10分)(50分)明神(35分)上高地(山頂での休憩を除く。) 

                                                                                         (中野 記)

                                          礼文岳−497m(北海道)山行記録

平成14713日(土)天候・霧、気温 山頂10度程度 

ルート:起登臼(きとうす)登山口より山頂、帰路は内路(ないろ)登山口へ、単独

  1.東京から北海道への週末登山は、羽田からの千歳行きの飛行機と札幌始発の夜行列車が定番である。今回も午後8時過ぎの飛行機と特急列車「利尻」の組み合わせに、稚内から礼文島までの船旅がつき、礼文島・香深(こうぶか)港までは12時間の道程である。

2002年版の昭文社発行の「山と高原地図・第1巻利尻・羅臼」に依ると、礼文岳には島の東側の起登臼および内路から2本の登山道が開かれている。朝一番に稚内を出港するフェリーは、船泊・須古屯方面のバスの接続は悪い。そこで、ターミナルから約8キロ離れた起登臼まで徒歩で行くことにした。

途中、寺然(てらしかり)にあるコンビニで昼食を購入。右手に海を見ながら、途中香深井(かふかい)の町を通過し3本の防波覆道を通り、1時間半かけて登山口へと到着。先のガイドブックには、「起登臼にはバス停がなく、降りる場合には事前に運転手に告げて下車のこと」と記してあるが、バス停が設置されていた。起登臼の登山口は何軒かの集落・北海道電力の施設やあわび養殖センターの建物をやり過して、道がカーブし終わったところから始まる。

ところが、この登山口の入り口には「礼文岳に登山する場合は内路にお回りください。」という標識が掲げられていた。内路まではさらに2キロ以上は舗装道路を歩かされるし、須古屯行きのバスには5分前に追い越されたところである。自転車に乗っていた地元の人にその登山口を教えていただいた後だったので、「どうしたのだろう」と訝しがりながらも登山を開始した。

最初の草付きの標高差150mの登りが全行程中もっとも急である。登山道は尾根の樹林帯へと一直線に登って行く。しかし、晴れればその向こうに利尻富士が控えるという海を見ての眺望、何よりも足元に咲く花々、ミヤマシシウド・紫のレブンソウ・ピンクのエゾシオガマやチシマゲンゲ・黄色のウサギギク、残念なのはレブンウスユキソウの花は終わっていたが、それらの花々を愛でて登るのは苦にはならない。

礼文は「花の浮島」の名に恥じない。結局、この短い区間に花がもっとも多かった。樹林帯に入ると道はほぼ右手に、右手にと向かうようにしてつけられている。昨日の雨のためコースは滑りやすかったが、傾斜がゆるくなるため登りにくさはさほどでもない。道はしっかりとしているが、樹林帯が切れるあたりの下草やササがところどころで道を隠し、クモの巣が張るなど人がほとんど通っていない様子であった。

「ほとんどの登山者は内路から往復するのだろうか」、と考えながらダケカンバやトウヒ・トドマツの樹林帯を縫う登山道を緩やかなアップダウンを繰り返して内路登山口との合流点である二股に到着した。ここで今までの疑問が氷解した。今、通ってきた道には「進入禁止」の標識と鎖が架けられ、起登臼コースの案内はカバーで隠されていた。ただ、思わぬ方角からの登山者にやや呆気にとられていた中高年の女性登山グループの顔がもっと印象的ではあったのだが。

この起登臼コースも、数年前まで東側の通称8時間コースの途中から登られていた笹泊コース同様、廃止の運命をたどるのであろう。役場には確認していないが、自然環境の保護と地方財政の逼迫という一見、縁のなさそうな命題が偶然に結びついた結果の産物であることを強く思う。

内路からの樹林帯の赤土のぬかるみの区間が最も悪い。長くは続かないのだが、下山は特に要注意。ハイマツが顔を見せ、ミヤマハンノキがカンバにとって代わり、山頂まで1キロの標識を見るころからこの悪路から解放される。そして、北側の緩斜面にはエゾカンゾウの大群落、花は今がピーク。道の両側には湿気を好むゴゼンタチバナがびっしりと咲いていた。410mの小ピーク付近で、矮性化したハマナス。

同じバラ科なのでタカネバラに瓜二つ。20mほどくだり、100mの高度を登り返すとケルンの立つ礼文岳山頂に登り着いた。頂上は深い霧の中で、期待していた眺望はまったくなかった。山頂付近にエゾツガザクラの花。なお、下山時に先の400mピークでここが頂上だと勘違いしていて、昼食を広げていたグループがあったが、前が見通せないとこうした誤解もおこりうる。

二股分岐から先の登山道は緩やかに下り、樹林帯を抜けてなだらかな丘陵とその間を縫う県道、そしてその先に海が見えてからが長かった。最後は内路の集落が見えると、登山道は電光系につけられ、高度を落として民家の間を抜けると、程ほどなくしてバス停に降り立つ。ここには売店と公衆電話がありタクシーが呼べる。天候のせいか、あまり登山者には会わなかった。

この後巣古屯方面のバスに乗り、4時間コースのさわりを歩いてみたが、礼文は全体的に草付きのなだらかな丘陵がその大半を占めている。これは、利尻島の鋭く天を指す利尻富士とは好対称で、礼文岳は「登る山」ではなく「歩く山」なのだと実感した。礼文を代表するもうひとつの花、レブンアツモリソウの花期もすでに終わっていたが、他の豊かな花々に加え、引きもきらず往来していた本土からの満員のツアーの観光客を乗せたバスの列にこの島の最高の季節を見た。

    コースタイム:香深フェリーターミナル(90分)起登臼バス停(45分)二股分岐(45分)礼文岳山頂(30分)二股分岐(30分)内路バス停 (山頂での休憩を除く。)

北海道の残雪状況:札幌が快晴・気温が30度を超えた日に稚内は15度までしか上がらず、利尻山がひと時も見られなかったうえ、帰りの飛行機でも北海道の山々は雲の中でした。ただ宿泊した民宿の方に聞いてみたところ、利尻山の残雪は例年以上に多いということでした。83日から一週間ほど北海道の山を訪ねますので、最新の情報は後日に、乞うご期待ということで。                                                                                                         (中野)

                                                     雷さまと遊んだ越後中の岳
                                                    
2002年6月20日〜23日

1. 目 標 山  越後三山 新潟県南魚沼郡六日町と群馬県利根郡水上町の県境稜線
             丹後山 (1,808.6m)
             兎 岳 (1,925.8m)
             中ノ岳 (2,085.2m)
2. 期  日  平成12年6月20日(金)〜23日(日)
3. メンバー   古谷、高橋、2名
4. 宿  泊  テント・丹後山避難小屋・十字峡登山センター
5. 行  程  十字峡→鉄砲平→丹後山→大水上山→兎岳→中ノ岳→日向山→十字峡
         
                                 
 小屋の屋根を突き破らんかに叩きつける雹、ピッカと光った途端に ガン、バリバリ、インシャーワー。梅雨の真っ只中、馬鹿は死ななきゃ治らない。

 20日午後9時過ぎ小雨降る中、十字峡に到着。トンネル内車道にテントを設営、近年街中でも農村でも燕の巣を見る事が少なくなったと思ったら、燕も他の動物同様人間どもに追いやられ人里離れた山中のトンネル内に営巣していた。トンネル内の路面は燕の糞で黒白のゴマを蒔いたように模様替えしいたので、最も模様替えされてないない場所を選んで設営した。
 
21日子燕の鳴き声に起こされてテントを出る。5時過ぎトンネルそばのゲートで登山届を提出し出立。
約30分三国川 (サグリガワ)本流に沿って左岸林道を進み標高530mの登山口へ、林道は栃の木橋を渡って右岸へ、渡ってすぐにしっかりした道標のある登山口に辿りつく。低気圧状態で高度計は実際より100mプラスの630mを指していた。
 
登山口と丹後山頂との標高差は1、300m弱、水平直線距離で約3km標高差は穂高に登るのと大差なく歩行距離は短い上に直登ときているからきつい登りになりそうだ。

5時50分登山口を後にして樹林の中へ入った。ガスで視界はきかず小雨が降ったり止んだりだからパーカーは脱げない。今年は石楠花の当たり年ではないのか、花をつけた形跡はなくもう新芽が開きかけ、足下のイワウチワも咲き終っていた。径にはまだ新しい白御影石の「何合目」表示が頂上まで設置されているが、ガスで展望もない故ほとんど休まず登ったから合目道標の全てを目にする事が出来なかった。

しかし足下では白ロウで作ったように透き通るような可愛いギンリョウソウやイワカガミの群生、ショウジョウバカマなど、またコブシや山ツツジなどがが雨露のイヤリングで花を飾って迎えてくれていた。

 標識がなくどの辺りがカモエダズンネだったのかジャコの嶺だったのか定かでないまま通過、途中流れる雲の切れ間に栃の木沢の上流、コウガイ沢やかコブシ沢のうねうねと天に昇って行く雪渓が雲の中に消えていっているのが見えた、さすが名だたる豪雪地帯残雪はまだしっかり残っていた。
 
仙人は霞を食っていたとか、長生きするはずだガスはマイナスイオン身体に良いものを食らって生きているからだ等と、ガスで何も見えないのでくだらん事を考えながら登ること3時間半、1、480mと記されている六号目標識のある平に登りついたのが9時ちょうど、その辺りから潅木と背の低い笹の草原になる、ニッコウキスゲが笹竹
よりも背を伸ばそうとがんばっていたが、まだまだ花を見せてくれるのはさきのようだ。
 
越後沢山から巻機山への従走路分岐点到着9時50分、2002年発行の昭文社のガイドマップには藪で登山道はないと印されていたが、しかし巻機山へのコースに足を踏み入れたわけではなく、ガスで視界が効かないの明言できないが、立派な新しい道標もあり径も取り付きは明瞭なので縦走可能と思われる。

分岐点から丹後山山頂へは10分足らず、山頂手前すぐ右手湿地帯に避難小屋は姿を現した。まだまだ時間は早いが北西方向遠く、稲光がして雷様が太鼓をたたいて踊っているようだ、中ノ岳の避難小屋まで足は伸ばせないから今夜はこの小屋でお世話になることにした。
 
小屋は小奇麗で中二階、50人は雨露を凌げる、小屋近くに雪渓があるはずだがガスで見えない、しかし水は入口そばのタンクに屋根の水が溜め込まれるようになっていて奇麗だ。室内気温10℃、夏シュラにシュラーフカバーではフリースを着込んでも少々寒い、何枚かの毛布があり有難かった、六日町に感謝。
 
またまた「なんちゅうこっちゃ」5月の霞沢岳ではガスカートッリジを忘れ今度はラジオを忘れた。今夜この小屋にお世話になるのは我々2人だけだ、外に出て散策も出来ない、ラジオがないとなんと時間の経たないこと、その上気象の動きも分らない、雷さま達の動きも分らない。ラジオがあれば雷さまが近づいてくるのが良く分るのに残念。
 
翌朝4時ウグイスの挨拶で起床し5時過ぎ出発、小屋から5分とはかからないところにある何の変哲もない頂上を通過、15分ばかり鈴竹の草原を歩いただろうか、遠くで遊んでいた雷様が我々に挨拶したいのか段々と近づいて来た。ヤバイ! 踵を返して一目散、小屋に駆け込んだ。
 
小屋に逃げ込んだとたん、ピッカ、バリバリ、ドン。我々より雷さまのほうがよっぽど足が速かったようだ。それから約3時間あまり、雹を伴った雷さまが一緒に遊ぼうと言わんばかりに、小屋の周りでお祭り騒ぎだ、もう諦めて帰って行ったかと思ったらまた次のグループがやって来て騒ぎ出した。
 
やっと彼らが諦めて小屋を去って行ったのが8時前、我々も8時過ぎに小屋を後にした。ロスタイム挽回水溜りになった径を中ノ岳へ足を速めた。8時40分大水上山(1,834m)を通過、9時兎岳(1,925.8m)を通
過。 咲き誇っていただろうシラネアオイやハクサンコザクラが雷さま達のお祭りに荒らされて憐れなり。ハクサンチドリやエンコグサ、大きな花弁のキヌガサソウなどは雷雨に負けず咲き誇っていた

稜線の左栃の木沢側足下にはガスも手伝って張りついているだろう残雪は見えないが、右手利根川水源には残雪が続き、晴れていれば水源の扇型雪渓が眺められることだろう。

径は低部や利根川よりのヶ所で残雪に消え、度々雪渓に下りては又径に戻る、ここ一週間は誰も歩いた形跡はないようだ、雪渓にトレールは全くなく又ガスも手伝って雪渓から径に戻る取り付き点が分かり難い。

 ガスの中右手に連なる雪渓の頭を歩き、又眺めながら大小10数ヶ所のアップダウンを繰り返し池ノ段へ、雨は小降りになったと思ったら又強くなる、雲は流れているが晴れていくようには見えない。
 
池ノ段到着11時20分、右手雪渓を駆け登ったが小雨とガスで何も見えないので早々に踵を返し池ノ段へ、そのまま日向山へ向って急降下に入った。このコースにも新しい白御影石の合目標識あり、日向山手前生姜畑までは急降下に続く急降下、太ももがこわばってくる。生姜畑手前でカタクリの群生しているのを見、雪渓を踏んで日向山へ、日向山頂には無人気象観測用かコンクリート製らしき建物とアンテナー搭あり、又五号目の標識石もあり、このコースのちょうど中間点にあたるようだ。

 日向山を過ぎてブナ林の中を又急降下に急降下、今度は何号目、次は何号目と標識の号目数字が少なくなってゆくのが楽しみな下りなり。途中コブシの白い花が残雪と供に雨雲の中で明りを灯したように、樹林の中をぼんやりと明るくしていた。
 
やがて沢の流れの音が耳に入るようになり、十字峡の建物が眼下の樹の間に見えてきた。二合目、一合目と合目間がいやに長く感じられるようになって間もなく、十字峡の駐車場が足下に見え、コンクリートで固められた階段を踏んで車道に下り立つ。時は15時前、中ノ岳からの下り所要時間3時間半の行程なり。登山完了。
 
十字峡登山センターで蕎麦をすすりマムシ焼酎を馳走になり、五十沢温泉(イカザワオンセン)へ。混浴露天風呂で山の汗を流してコンビニで弁当を買い、又登山センターに取って返す。今夜の宿はこのセンターだ、素泊まり一泊1千円なり。電灯があり敷布団一枚200円24時間出入り自由、雨の日には極楽なり。

入山前に分っていればトンネル内でテントを張る事もなかったのに残念。23日早朝岩魚釣り場を捜しながら帰路についた。

 結び、
今回は山の性格と天候から高度計が良い伴侶にり、又ラジオを持参しなかった事が最大のチョンボでありまた。
                                 
 添付
@、 咲いていた花 
ギンリョウソウ・ウメバチソウ・イチリンソウ・ショウジョウバカマ・イワウチワ・イワカガミ・シラネアオイ・ハクサンコザクラ・ハルリンドウ・オオバナノエンレイソウ・カタクリ ・ハクサンチドリ ・ ツバメオモト・石楠花(稜線で)・キヌガサソウ・レンゲツツジ・ヤマツツジ・等など。

A、 行程タイム
           出発地       時間       到着地         時間
6/20  籠原       18:00         十字峡           21:00  テント泊
6/21  十字峡     5:05         登山口(栃の木橋)    5:35
     登山口    5:50     ジャコの峰 (六合目) 9:00
     分岐点    9:50      避難小屋        10:00 丹後山避難小屋泊
6/22  避難小屋   5:00      丹後山               5:05
                        引き返点              5:15
                       避難小屋              5:20
          避難小屋   8:20          大水上山                  8:40
                            池の段            11:20
                            中ノ岳            11:30
                             池ノ段           11