山に行ってきましたのレポート


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 国見岳−1,738m(熊本・宮崎)山行記録

平成1553日(祝)天候・晴れ、気温 山頂15度程度 

ルート:内大臣林道広河原登山口より山頂、杉の木谷登山口下山、単独

  1.昨年の11月中旬の予期しない雪のために、途中で登山を断念したコースに再度、挑戦した。今回は、前回の教訓から、タクシーの配車を砥用町から矢部・浜町へ変更したこと、そして下山時のために折畳みの自転車を東京から持参するという計画へと変更した。熊本交通センター発のバスの時刻が早いこと、広河原登山口までのタクシー代が1,000円ほど安いこと(今回は5,840円)、最寄りの内大臣橋入口のバス停までの距離が12キロ以上あり、下りに3時間以上時間がかかったこと、などが理由であった。

予約したマルハタクシーの営業所は、矢部・浜町のバスターミナルから
2030歩の至近距離にある。タクシーの運転手さんに言わせれば、帰りを予約するのが一般的であり、自転車を積み込んだ登山者は初めてとの見たとのことである。

2.内大臣橋を渡り終えたところから舗装が切れて悪路になる。なお、熊本県側のトイレこの橋を渡った公園の先にはない。(宮崎県側は長谷登山口に至る林道の入り口にある。)矢部を出てほぼ1時間で、広河原登山口に到着。付近は10台前後の駐車スペースがあり、マイカーによる登山が一般的になっているようである。

営林署が手を入れた杉の人工林の中に電光形につけられた急登から、標高差約
800mの登山道がはじまる。5分も歩けば、山頂まで4キロという標識に出合うが、この距離標識は1キロ毎(最後の500mのみ100m毎)につけられているので目安になる。途中崩落した崖の上をトラバースする危険な箇所があるが、ロープも張られており、慎重に行動すれば問題はない。

その後スズタケが現れ、眺望のきかない道を登山口から
40分も歩けば、杉の大木の下にベンチが設けられた一服するには丁度よい場所に到達する。スギの人工林も終わり、ここから先はブナの混じる混交樹林帯となり、山頂手前の一部区間を除いては傾斜も緩やかになる。

3.ベンチの先を少し登ると、道は下りはじめ間もなく小沢に出合う。都合6本の沢を横切るため、水の用意は少なくとも済む。最後の沢までは、登山道は急斜面を横切るようにつけられており、小気味よいアップダウンを繰り返しながら、徐々に高度を上げていく。桂の木が目印となる4本目の沢が最も大きい。地元の登山者に聞いたところ、この時期には天然記念物であるベッコウサンショウウオが産卵をするために出て来るそうである。ためしに、落ち葉や石をひっくり返してはみたが確認できなかった。

この沢の少し上で、残り2キロの表示。この区間には、ミツバツツジがピンクの、ノリウツギが白の花を満開にして咲かせていた。沢から離れると登山道は、進行方向を南から東へと変え、再びスズタケの中を行く。途中、京丈山・平家山方面の道の分岐を分けて少し行くと残り1キロとなり、稜線が緩やかになって、あたりが開け始める。この付近から上はツクシシャクナゲの群落が見事である。多くはまだ蕾の段階であったが、山頂近くの日当りのよいところでは、はや3分咲きとなっていた。

国見岳は今週
510日が山開き、県外からも多くの登山者で賑わうそうであるが、その頃にはようやく見ごろとなっていよう。山頂の手前で下山にとる杉の木谷登山口の分岐に出れば、頂上は指呼の間にあり祠も目に入る。

4.山頂では15人前後の登山者が休憩していた。深田久弥は「日本百名山・黒岳」の中で、「たいていの山は・・・何か人気くさいものを見出すが、黒岳からの眺めは全くそれを絶っている。四周すべて山である。」と記しているが、国見岳からの眺めも同様である。平家の落人伝説が残るだけのことはある。ここから見た山は、わずかに市房山を除いてすべて未知の山々である。

5.下山路にとる杉の木谷登山口は登りがやや急な分、500mほど距離が短い。このコースの水場は頂上から300m下った長谷との分岐点に1箇所ある。明るい登山道をぐんぐん下ると、廃屋となった営林小屋が見え、突如林道の跡にでる。平坦な道を500mも進むと、登山道は杉の人工林の中をジグザグにつけられた薄暗い山道となる。これを急降下し、大きくなる谷の水音を聞きながら進むこと約15分で、杉の木谷登山口に飛び出す。
右手にさらに
15分も歩けば、広河原登山口に戻る。後は、登山開始前にあらかじめ組み立てておいた自転車に乗り、ブレーキをかけ続けで慎重に林道を下ること約1時間、売店のあるバス停に到着した。なお、この林道の椎矢峠より先の宮崎県側は多少とも道が好いとの話を聞いたが、JR日向駅から椎葉経由のアプローチが極端に長いのが難点である。この椎矢峠は1,400mを越す九州随一の峠であり、さらには未舗装であるため、ツーリングのバイクやオフロード車の通行量が意外に多いことにも注意したい。

6.    コースタイム:広河原登山口(45分)杉の木下のベンチ(35分)ベッコウサンショウウオのいる沢(30分)京丈山方面の分岐(30分)国見岳山頂(1時間)杉の木谷登山口(15分)広河原登山口(山頂での休憩を除く・合計3時間25分)

(後記・花便り)

55日、九州第二の峠である牧の戸峠から久住山を2時間半ほどで往復してきましたが、

沓掛山までのコンクリート道の両側にはドウダンツツジの花。沓掛山から扇が鼻までの草付きにはハルリンドウの群落。なお、ミヤマキリシマの花は、売店の植木鉢にのみ見られます。

                                                                                                             (中野 記)


    今年初めて「心の山」丹沢 大倉尾根ー塔の岳へ日帰りで行って来ました

                    2003.1.18     田 添  正

 連日の新年会で飲み過ぎた身体に喝を入れるべく2時間遅れで大倉登山口を10:10にスタート 毎朝の階段昇降のトレーニングの成果で身心共に快調 10:55大倉高原「山の家」のオヤジさんに新年の挨拶(青柳さんも時々コンサートを行う)

 駒止小屋を過ぎ、2本目12:00富士山の見えるいつもの場所で昼食 花立直下で3本目 上空には15・6もの色とりどりのハングライダーが気持ち良さそうに乱舞 している。

 花立山頂から「金冷やし」はアイスバーンで緊張する。金冷やしから山頂までは雪に変わり雪山気分を充分満喫し13:58に塔の山頂へ立つ。尊仏山荘の主人「花 立さん」に新年の 挨拶 暮に台湾の報告書を渡していたのでお礼を言われた。

 山荘で展示・販売をしている「山小屋の主人の炉端話」東京新聞出版 工藤隆雄 著 笑い、感動、そし涙・・・山小屋の親爺たちの山の物語 全36話 主人 花立氏にサインをしてもらい購入した。

 第1章 ネバーギブアップ トップは丹沢・尊仏山荘 花立氏。大学卒業後 刑務官を9年勤めたあと小屋番になって6年です。「片足をガンにおかされ切断した女性が、恋人と2人で山荘に来て、それからたびたび尊仏山荘を訪れ、2人が結婚し子供も生まれた、その女性はハンデーにも負けず「すごく明るい」人で彼氏も教員志望から福祉関係の仕事に変更し彼女と結婚した」という出会いの話など、なかなか感動する文章です。花立氏とは5・6年の付き合いになります。

鍋割山荘の「草野さん」も書策小屋の渋谷書策さんの話も掲載されています。

大倉尾根は心の山であり、身心共に自分の健康状態を知るトレーニングの山でもある。
早朝5時から毎日トレーニングを積んで、月に最低1回は行くことで自分のコンデションを知ることが出来かつ富士山・海外の山に登るためのトレーニングの場でもある。

 
 田添の夢 還暦までに実行したい海外登山

 @南米大陸の最高峰「アコンカグア」6959m
 Aヨーロッパ大陸の最高峰「エルブルース」5642m
 Bヨーロッパアルプスの最高峰「モンブラン」4807m

 以上、体力と予算と休暇が許せば夢・目標として実行したい

              2002年12月27日〜2003年1月3日

北アルプス/明神岳南西稜〜前穂、奥穂〜大キレット〜南岳〜横尾尾根下降

メンバー:大木信介(信大学士山岳会)、谷口ケイ(京葉山の会)

  穂高連峰、塩ラーメンへの道(モチベーション完全復活への道:起)

サイコーの2003年を迎えるために上高地へと出かけて行くことになった。まだ、出会って3度しか顔を合わせていない二人の不思議にも爽快な山旅は松本を出発点として始まった。居酒屋チベットの荒木さんに下山したら極美味の塩ラーメンを食べに来ることを約束して。

  2002年12月27日(金)

この日は食糧、装備を整えてBOND君の車で上高地まで。村営ロッジ越冬小屋でのんびりと過ごしながら重過ぎる装備を再確認してもう少し軽量化を試みる。

古いせんべい布団で眠る。う〜寒い!

  12月28日(土) 晴れのち夕方曇り雪

5:00 起床。ごはんと漬物、味噌汁をしっかり食べて、テルモスには濃くて甘いココアを入れてみた。

6:10 出発。岳沢への登山道にはDAAC(防衛大)のトレースがある。ラクチン。

7番看板のところでDAACのBC発見。この先30分程登ったところでDAACに追いつく。8人パーティだが、3人がFIXを張るため先行しているとのこと。更に30分程で先行の3人に追いつく。ラッセルに苦戦している様子。ワカンをはめてラッセルを交代、先に出る。BONDラッセルめちゃめちゃ早い。伊達に信大山岳会で育ってないと実感させられた。しかも彼のラッセル後は歩きやすい。サスガだ。

X峰への道のりは遠い。三角岩峰辺りの岩稜にはボロFIXが残置されているが、ノーロープでも行ける。結構楽しい。久しぶりになんだかとても気持ちがいい。

13:15 更にしばらく登って、ようやくX峰。天気良好。大パノラマ。最高!感動しながら歩いていく。

14:00 岳沢側をトラバース気味に登り、W峰を越える。

14:30 V峰。岳沢側から岩稜を登る。ピークからはなかなか渋いクライムダウンとトラバース。「立岩で鍛えたアイゼンワークなら大丈夫だよ」なんて無責任な自信を持って声を掛ける。後でBOND君には「こんな所うちの部だったら絶対懸垂だよ」と言われてしまうが、力があるなら冬山は迅速な行動が要求されるのだからいちいちロープ出さないで済むならそれに越したことは無い、ということで今後の長い行程中、渋いクライムダウンを何度も経験することになるのだった。

15:00 U峰のピークに立つ。北側の岩峰の残置シュリンゲに一本残置を追加して、50mの懸垂でT・U峰間のコルに降り立つ。時間的にも今日はここまで。風が冷たくなってきた。指先が痛い。雪庇に用心しながらテントサイトを整地する。だんだん風も強くなってきた。

16:00 小さなゴアライトに2人もぐり込む。あー、ほっと一安心。狭いテントの中でもぞもぞと動き、なんとかボタージュを胃に流し込んで気分復活。スープひとつで心も体も温まるなんて、雪山だけの幸せだ。こんな幸せな瞬間が大事なのだ。

2人ちびっこで良かった。このテントでもなんとかなるもんだ。狭くて大変だけど、その分暖かいハズ。

はツナそぼろご飯

  12月29日(日) 小雪+風→夕方晴れ間

5:00 起床。シュラフとカバーの間に雪がたっぷり積もっている。ひぇ〜。

夜じゅうすごい風だった。テントの外は真っ白。ヤル気がそがれるなあ。それでも朝ごはん食べて、お茶を飲んでいるうちに風もやわらいできた。 ラーメン+もち

行くかぁ。テント撤収にそれなりに時間がかかる。T・Uのコルのテントサイトなのでそんな優雅なスペースでもない。あぁ手が冷たい。

7:30 ようやくテント場出発。

7:45 明神岳主峰ピーク。ここからが長かった。奥明神沢のコルへの下りは結構シブく、懸垂の支点が2箇所あったが何だかんだ言いながらクライムダウンしてしまった。

更に前穂へは、岩の稜線を雪庇にビビりながら歩いたり、岩峰を巻いて深いラッセルトラバースの繰り返し。近くて遠い前穂のピーク。

11:00 前穂ピークにようやくたどり着く。あー感動。北尾根が見える。振り返ると明神岳は・・・今はガスの中だ。

そしてここから更に長い道のりが始まるのだった。甘く見ていた吊尾根。岩稜と雪庇の稜線を歩いてはクライムダウンして、トラバース、そしてまた雪壁を登っては岩の稜線を往く。一回懸垂20m。雪もズボズボのラッセルだったり、クラストしていたり。時々夏道がうかがえるが、いやらしいトラバースで雪崩が恐い。稜線を辿るように行くも雪庇がかなり発達していて要注意。

東の空は晴れてきて、常念の姿が白く聳えている。北尾根、そして時々明神岳の姿も背後に見えている。しかし、私たちの行く先はガスの中。奥穂はどこにあるのだろう。もう随分歩いた。BOND君がひたすらラッセルしてくれた。ついて行くだけなのに非常にお腹が減りまくる。今日の行動食を食べ切った後にお腹がグ〜〜って鳴ったのには参ったな。15:30 ひたすら雪壁を登った3071mのピークで奥穂を断念。もうすぐ山頂だろうと思っていた矢先、目の前に巨大な雪庇をたくわえた雪壁が立ちはだかったのだ。

あー、無念。今日は穂高岳山荘の冬期小屋で凍ったものを乾かす予定だったのに。あー、無念、を繰り返す2人。それにしたって、目の前のデカイ雪庇を張り出している巨大な雪壁を越える気力は今の2人にはどうにも無かったのだ。

P3071に最高のビバークサイトをつくる。空は晴れ渡り、サイコーの色に染まっている。松本の夜景と三日月と満天の星空。寒い夜。凍りつくような夜。

は赤飯+すまし汁

  12月30日(月) 晴れ→うす曇り

5:00 起床。寒くてイマイチ熟睡できなかったな。足先が冷たい夜だった。でもテントの外は風も無く、満天の星空。

はラーメン+もち

とっても寒いので、少しカラ炊きをしながら朝食と準備。

7:00 テントから出ると八ヶ岳の後ろから朝日が昇る。富士山がデッカイ。とても冷え込んだけれど風も雲も無く、神聖な朝の光が北アの空全体に広がっていく。

7:15 P3071雪庇ぎりぎりのテントサイトを撤収して出発。さあ、目の前にそびえる雪壁に向かうぞ。縦走装備での雪壁登りはコワイ。大の苦手パートだ。でもそれを越えたらもう奥穂のピークは近い。

7:45 奥穂ピーク。穂高岳山荘への下りは途中、2回雪壁のクライムダウン。

8:30 念願の穂高岳山荘に到着。小屋にいたのはNHK冬山取材班の3人。彼らが小屋を去ろうとした時に、ようやくやってきた最初の登山者である私たちを取材することになった。ラッセルと岩場の撮影。そしてお茶を一緒に飲んだ。カメラマンの米山氏は北大出身、サポートの杉山氏と前原氏は信大出身。しばらくおしゃべりをした後、青空の涸沢岳へと戻っていく3人を見送る。その後、何故か冬期小屋の隣でテントを張っている福岡大山岳部の学生と話す。天気悪くなるんだから小屋に入りなよ。

昼過ぎ だんだん天気が悪くなってきて、気づいたらホワイトアウト。小屋にも続々と人がやってきた。ほとんが涸沢岳西山稜から。私たちを入れて、小屋は総勢9名となった。

小屋に置いてある余りの食糧をいただいて、はスープパスタ。

  12月31日(火) 小雪

5:00 一応起きるが、外は真っ白なので停滞を決め込んで再びシュラフにもぐり込む。槍まで縦走するという佛教大山岳部OBの2人組は出発するらしい。気合が違う。

7:30 外が明るくなってきたので外へ出てみるが、頭上に青空が見えるが他は変わらず真っ白。風は無いが、ラジオによると天気は悪くなる様子。われらは停滞モードで、のらりくらりとシュラフの中でうだうだする。小屋にいた他の2人組は奥穂へ出掛けていった。福岡大生も奥穂ピストンの様子。

11:30 年明け後も天気が悪いらしいという誰かの話で、他の小屋泊者たちは皆下山を決めて続々出発していった。換わりに登ってくる人もいる。天気が悪くなると知ってのことだろうか・・・? 小屋の脇でテントを張っていた福岡大生もようやく小屋に移動してきた。学生5人+私たち2人で、ココアを飲んだり、もちを食べたり、お茶をしながらいろいろ話す。現役学生との交流ってのが新鮮でまたよろし。BOND君は他大山岳部生と話をするのがとてもうれしい様子。

16:00 天気図を書くと日本の周りに低気圧が4個もある。こりゃ大荒れだなー。明日は絶対北穂には行こうと気合い入れていたのにどうも明日も動けない気配。それじゃ今夜は紅白でも聞きながら愛について語ろう・・・ってことになるのだった。アンド大晦日だから2003年の目標を考えることにする。

  2003年1月1日(水) 快晴

元旦の天気はいったいどうなるのだろう・・・天気図では悪そうだけれど、外は風も無くおだやかな様子。目覚ましが鳴る前からなんだか目が覚めていた。

5:30 起床。外は満天の星!風も無い。行ける!! パスタ+わかめご飯 

6:40 穂高岳山荘出発。涸沢岳の頂上で初日の出を見たかったけどちと間に合わず。涸沢岳の斜面で明るく輝く初日の出を拝む。眼下は雲海。360°周りの山が全て見える。真っ白な山並みが東西南北はるか遠くまでくっきりと見えている。そして白い山が赤く染まり出した。すごいすごい。後から登ってきた福岡大生達の顔も赤く染まって。完璧な2003年の幕開けだ。さい先いいぞー。今年はきっとい年だ。嬉しくってたまらない。

涸沢岳ピークから槍ヶ岳を拝んで、さぁいよいよキレットへの道が始まる。出だしにまずボルト2個で25mの懸垂。トラバースからクライムダウン。2回目の懸垂は残置シュリンゲのある岩にシュリンゲを一本追加して20m。そこが涸沢槍のコル。槍に登り返して滝谷側をトラバースしていく。クライムダウンと岩稜の登り返しを繰り返す。滝谷を見ながら。松涛岩の下りでもう一度懸垂20m。これは残置ハーケンを使った。

10:20 北穂ピーク。サイコー! 無風快晴で相変わらず360°の大パノラマ。春のような陽気だ。

北穂小屋からの下りは長い雪壁のクライムダウン。トラバースしていって岩に残置されたシュリンゲで懸垂。ロープ一本で懸垂したが、その後のクライムダウンが渋かったのでロープ2本出したほうが良かった。40m懸垂すればクサリ場まで降りられる。

トラバース、クサリ、渋めのクライムダウンの繰り返し。途中で佛教大の2人組に追いつく。彼らはキレットまでロープを出していた様子。確かに途中のクライムダウンは結構緊張する。キレットまでもう少しのところで最後の懸垂。残置ハーケンにもう一本打ち足して、25mいっぱい。

13:30 キレットで休憩。ここから佛教大組が先行。南岳への登りもそう楽じゃない。疲れているときの雪壁登りは本当に辛い。恐い。苦手だな。それでも青い空を眺めながら、白い山々を眺めながらのんびり進む。

15:20 南岳小屋に到着。そのとたんに白いガスがやってきて、みるみるホワイトアウト。なんていうタイミングなんだろう。早速4人で南岳冬期小屋に入る。中は真っ暗。広くは無いが、4人には十分なスペースがある。小屋の中にトイレもある。残念ながら携帯電話は通じない。のんびりとお茶にする。明日は横尾尾根を下るだけだから、今日はゼイタクにスープ類を飲む。

はとりそぼろごはん

佛教大の彼がニシンの干物をくれた。あぶって食す。とってもおいしい。こうして元旦の一日が暮れてゆく。

それにしたって今日という日はなんて素晴らしかったんだろう。一日中信じられないくらいの青空で、飛騨側からの風は気持ちいいくらいだった。日本中の全ての山が見えるのではないかという程沢山の山を見ながら歩いた新年の一日。

  1月2日(木) 吹雪のち晴れ、強風

夜は小屋テントでぐっすり眠れた。しかし夜半過ぎからすごい風が冬期小屋にたたきつけていた。

5:00 起床。佛教大の2人は4:30起きで準備をしている・・・が、外はものすごい風で小屋から出るのも一苦労。音だけでなく、外は本当に風雪だ。

は明太子パスタ

7:00 しばらく出発を見合わせることにする。

8:00 実は風の音がすごく聞こえるだけなんじゃないか、ということで4人外に出てみるが、直立できない程の風で目も開けていられない。私は小屋から一歩足を踏み出して早くも撤退を決める。

早速パッキングした荷を開いて、再びそれぞれテントを張る。足も手も指先が冷たい。火をつけてそばを食べて温まる。

9:10 天気図を書くBOND。ちくしょー、書いたって全然天気読めねーよ、もぉヤダ!と言いながら書いている。

10:00 まさに気圧の谷が通過しているようなものすごい風。下界の天気予報では昼から晴れるらしい。底冷えするのでついにシュラフを出してもぐり込む。やっぱりシュラフの中は暖かい。ひたすらFM長野を聴く。早くも寝息を立てているBOND君。あー、今日は停滞かなぁ。それにしても昨日ここまで来ていて良かった。北穂小屋なんぞにいたら進むことも退くこともできないものなー。

12:15 佛教大の2人組が出発する。今日は槍まで向かうとのこと。天気はとても良いようだが、強風は相変わらず。私たちは、今から出発しても3時間しか行動できないのでは中途半端なところでテントを張らなければならなくなるだけなのだからと、今日は腹をくくって停滞と決めてシュラフにもぐり込んだまま。明日はきっといい天気だから頑張ろう。

16:00 風の音は相変わらず南岳小屋をたたいているが、夕日を見ようと2人で靴を履き、装備を万全にして外に出る。冬期小屋の入口に雪が吹きだまってなかなか戸が開かない。外に出てみると素晴らしく良い天気だ。ただし暴風で、立っているのも大変。そんな中ケルンまで歩いていく。

槍が見える。穂高も見える。周りの山々がくっきり見えている。西に大きな夕日が輝いているけれど、西風が強くて見たいものが思うように見れない。風に背を向けて山の稜線を眺める。稜線の雪が風にもて遊ばれているようにぐるぐる回って流れていく。空に向かって飛んでいく。白い山の稜線が赤く染まってくる。空の色も薄い青に、紫に変わっていく.

BOND君が写真を撮っている間、山と空と風の姿を眺めていた。寒くてたまらなかったけれど、至福の時だった。ゼイタクな時間だった。風が強くて立っているのも大変だったけれど、ずっとそこで移りゆく色を眺めていたかった。今日出掛けていった2人は無事槍に着いただろうか・・・ 私は、今日出掛けなくて良かったと改めて思った。こんな風じゃ、絶対凍傷になっていたに違いないものね、とBOND君と話す。

小屋に戻って改めて冬期デポを物色すると、賞味期限の切れたチョコ、クッキー、レトルトカレー、キムチもつ煮、うどん、α米、etc.そして白ガスが出てきたので有難くいただくことにする。すべて98年〜2000年のものだ。何でこんな古いものが残ったままなんだろう。下手したらただのゴミだ。そんなわけではもつ煮うどん+カレーうどん

α米は次の山行用に、ウイスキーは下界に下りての乾杯用にいただいて行くことにする。荷は減るどころか増えているんじゃあないだろうか。先日まで、こりゃ痩せるなぁ、なんて言っていたのに今日は食べてばかりでこりゃ太るなぁ。雪山に来てエネルギー補給してるなんて、ヘンな2人なのであった。

  1月3日(金) 晴れのち吹雪

4:30 起床。まだ外では風の音がしているが、昨日のような強風ではない様子。何はともあれ今日は絶対出発するのだ。 ラーメン

6:15 2人、更に重くなったザックを背負って冬期小屋から這い出る。まだ暗いのでヘッ電をつけての出発。風に顔を向けると呼吸が辛いけれど、歩くには問題なし。

後から確認したけれど、南岳の稜線は5m以上はあるだろう大きな雪庇ができていた。飛騨側をトラバース気味に歩いていく。

6:45 横尾尾根への分岐。東の空が赤くなってきた。正月三日目の新しい朝だ。雪壁をクライムダウンして横尾尾根へトレースする。天狗のコルへの下りの途中で、八ヶ岳の向こうから真っ赤な朝日が昇ってくるのを見つめる。恐ろしいくらいに赤く輝いていて不思議な光景だ。美しいけれど、天気が崩れる兆しだ。

7:15 天狗のコル。ここから8峰への登り返し。稜線を振り返ってみると、槍にガスがかかっている。見る間に稜線をガスが越えてくる。雪がチラチラ舞い出した。あー、いつもより早く出発して本当に良かった。一時間遅かったらホワイトアウトだったな。

8:00 横尾の歯(7〜6峰間)。FIXロープが見え隠れしている。所々シブいクライムダウンや岩稜トラバース。

8:15 6峰

8:30 5峰手前の台地で休憩。すっかり雪雲に覆われてしまった。目の目に屏風岩を望み、右岩壁の巨大な大氷柱を眺める。

4峰の岩峰を越えて小さなコルに立ち、目の前のヤブ岩峰を巻いたりするよりはここからガリーを駆け下ろう、ということにする。どうもこれが3のガリーだったようだ。BOND君が先に駆け下っていく。途中からシリセード・・・加速していったところでナメ滝を認めて左岸の小尾根に移る。潅木の中を下って、25m2ピッチの懸垂で滝の下に降りて、そこからまた駆け下り&シリセード。

10:00 横尾谷に降り立つ。目の前の右岩壁にトレースがある。誰か登っているんだ。

14:00 上高地河童橋に戻ってきた。 ここまで来たからには、今日中に松本まで帰ろうということになり、釜トンネルまで車を取りに戻って、大雪となった上高地を去る。

 

松本もこの日は大雪だった。「ファインビュー室山」温泉を経由してそのままチベットの荒木さんのところへ行く。が、なんと念願の塩ラーメンは正月三日の間に売切れてしまっていた・・・塩ラーメンへの道だったのに。このままでは我らの山行は終われないよぉ。それでもこの日は美味しいお刺身と荒木さんの山形特製お雑煮をいただき、赤ワインで乾杯をした。すばらしい正月。

  1月4日(土)

松の湯にて優雅に寝過ごす、という予定だったのに山モードの2人は早朝に目が覚めてしまうのだった。今日やらなければならないことは一つだけ。

チベットで荒木さんの塩ラーメンを食べる。魚ダシのあっさり塩ラーメン。

今日も雪がチラチラと舞っている松本の町。本当に昨日さっさと山から降りてきて良かった。もし昨日の下山が遅れていたら、私たちの塩ラーメンはまだずっと先になってしまっただろう。いつも空腹だったけれど、毎日がお腹いっぱいの山旅だった。明神岳の岩峰も、前穂〜奥穂への長かった吊尾根も、そして大キレット越え、横尾尾根。停滞と行動のタイミングは絶妙で完璧だった。停滞中は沢山のことを考え、行動中は一切の邪念が無かった。

  こうして穂高連峰、塩ラーメンへの道は終わり、新年が始まった。 充電した今、次の山へ出掛けよう。

  装備

60gザック、ドロワット上下、プラブーツ、シュラフ(デナリ)、エアマット、コッヘル小、テルモス、ビーコン、バイル(クオーク)2本、アイゼン(カジタ)、ハーネス、メット、シュリンゲ6本、バラビナ6枚、ハーケン2枚

ロープ9mm2本、ゴアライト1、ドラゴンフライ、白ガス3.5g、小鍋

 

                       正月の山荘日記

                          2003.1.5     田 添  正

12月31日は、元旦の雪山登山に備え21:30には床に着く 山荘での越年は20数年振りである。テレビ紅白無視!

2003年元旦 快晴穏やかな新年を迎える。緒方ファミリーの雑煮とお屠蘇をいただき山荘前で記念写真のあと、雪の上州武尊山登山へ11:00出発

温かい、道路も雪解け水が流れている。上の原高原登山口より、本格的な雪山となる。かすかにトレースはあるが早くも膝までのラッセルである。

正午、1本目、雪を抱いた谷川連邦・朝日・奥利根の山々が快晴に映える、スケールの大きな展望台だ。
独りで黙々とラッセル、荷が重い汗ばむ!林道を3分の2位の地点で、トレース全くなくなる。今シーズン積雪期の登山者ゼロの証拠である。新調したアルミの輪環が威力を発揮する。

15時10分前に本日の目的地林道終点に着く。サイト地探しと明日のための、ルート工作に約1時間を費やす 沢に落ち 上がるのに20分もかかる。

積雪約150cm誰も入ってない真っ白な処女雪を掻き分けながら懸命のラッセル ルート工作樹林帯に囲まれた絶好のサイト地を整地する。夕日に染まる 谷川・朝日奥利根の山々を眺めながら独り夕食と晩酌のあと関係者に携帯で新年の挨拶状況報告のあと19:30シュラフに潜りこむ。

満天の星空が一変し、さらさらとシンシンと雪が降り出す。1月2日1:30起床 カップラーメンに餅とキャベツを入れビバークも想定した完全装備で、3;30分出発

星空に中から雪が舞い落ちる。トレースなし沢を右に左に慎重にルート工作 1歩を踏み出すのに2・3回踏み固め足場を作る。膝から腰までのラッセルとなる。

4:30小休止 あんぱん・羊羹・みかん・りんご・お茶雪本降りとなる。5:00帰りのことも考え「勇気ある撤退を
決断」登りテントから1時間半下り15分である。

5:30雪に埋もれたツエルトを掘り起こし仮眠を採る。7:00明るくなったので、ツエルトを撤収パッキング
8:30スタート 昨日作ったトレースもかすかに残るだけ

大雪の中でも木の芽がツボミを膨らませている。5月春が来るまで辛抱強く雪の中で絶える「つぼみ」に感動し思わず「くちづけ」をして励ます。

20数年前の正月合宿(尾瀬 至仏山・南ア荒川3山・北ア霞沢)の思い出が甦る。1泊2日の充実した雪山体験を再現、新年にふさわしい素晴らしい山行であった。

11:00上の原登山口トレース完全に消える。
11:20上の原山の家へ新年の挨拶と下山報告。
11:40武尊山荘着。山荘の存在を再認識する。

夜は三田村・星野ファミリー・佐藤OBで藤原温泉のあと新年会 生活習慣病対策で80%の自主規制
1月3日 終日スキー 大学駅伝応援

夜ジヤンダルムグループと合流!新年会。生活習慣病対策で80%の自主規制 放歌 
4日 昼過ぎに下山 充実した4泊5日の山荘日記。

                                              武甲山−1,295m(埼玉)山行記録

平成14113日(日)天候・快晴、気温 山頂15度程度 

ルート:横瀬駅より表参道経由山頂・帰路は裏参道を通り浦山口駅へ、単独

1.     武甲山をはじめて目にしたのは、7年ほど前に両神山を訪れるその途中のことであった。電車が正丸峠のトンネルをようやく抜けて秩父盆地に入ってまもなく、車窓の右側に山腹を削られた大きな山がみえたので思わず地図を取り出した。それが武甲山との出合いであった。

武甲山は石灰岩を主体とする山なので、古くからこの地にはセメント産業が栄えた。セメントは土木・建築素材には欠くべからざるものであり、文明開化以来現代の日本の発展の土台を担ってきたわけであるが、現況はその環境破壊という副作用を万人に明らかにしている。

2.         西武鉄道の特急も停車する横瀬駅前では、朝9時近くになっても営業している商店がない。飲み物の自販機があるだけであり、昼食を現地で調達しようとしたあてが完全にはずれてしった。この先にも道すがら商店はなく、生川にかかる橋を渡ったところにあるセメント会社の事務所脇に飲み物の自販機があるだけだった。

しかたがないので、昼食は下山後または持参の非常食とあきらめ、鉄道沿いの道路を行く。道中改めて見上げる武甲山は大きく、登高意欲をそそる。ダンプカーがせわしく行きかう道を歩くのは心地よいものではないので、駅前からタクシーを利用するのも手である。(バスの運行はない。)

50分もあるくとようやくセメント工場もなくなり、南斜面の紅葉を眺めながら、別荘地を左手にやり過ごすと御岳神社表参道入り口に至る。妻坂峠への道を左手に分けるここには一丁目の標識があり、五十二丁目の山頂を目指す登山道が始める。

自動車が
10台以上おけるスペースもある。なおトイレはこの少し先、釣堀(養魚池)にある。養魚場を抜けると杉の樹林帯の山道らしい雰囲気となるが、依然として舗装がされている。小滝のかかる十八丁目が最後の水場で、ここから右手へと登りだすと舗装がようやく切れる。

ここからの傾斜はすと昔から信仰を集めてきた神社への表参道だけあって、倒木が所々邪魔をするほかは、黒土に落葉が積もったクッションがきく歩きやすい整備された道である。登山道は南斜面の山腹を右手へと緩やかに登ってゆく。

道はジグザグにつけられるころから、下草に笹が現れはじめ傾斜がやや強まりだし、三十八丁目の丁目石を見るとまもなく標高
1000mの大杉の広場に飛び出す。四十二丁目石から先は、道は急傾斜の階段となり、杉林もようやくまばらになり開けた眺望にも励まされて上りついたところが、十字路の分岐点である。

山頂神社が視界に入り、分岐から
5分も登れば三角点のある鐘撞堂、その裏手に第一展望台があり、ここが現在の頂上である。展望台からは両神山が指呼の間にそびえ、雲取山や甲武信岳、赤城山が望めた。遠く谷川連峰やその奥の上越の山々はもう雪化粧をしていた。(第二展望台は左手にフェンス沿いに2-3分下ったところにある。)山頂には雨水を利用した立派な水洗トイレがある。分岐点から山頂付近にいた登山者は30人程度で、このくらいが丁度いい。

3.         昼食がないので、展望を楽しんだらそそくさと裏参道から下山する。裏参道はきわめて急傾斜であるが、予想外に登山者が多い。長者屋敷の頭までは、西側の眺望のきく登山道であるが、落雷がしばしばあるようで退避所が7箇所設けられている。長者屋敷の頭で道は二分するが、裏参道はここから2分の水場を経由しない尾根伝いに行くコースであり、こちらを採る登山者のほうが多いようである。

このすぐ下の日当たりのよい斜面にフデリンドウが二輪、行く秋を惜しむかのように最後の花をつけていた。この付近にはその他にノアザミ、アキノキリンソウ。馬の背にあたるこのあたりの傾斜が裏参道ではもっとも緩やかになる。再び傾斜を増した尾根道もすぐに終わり、右折して暗い杉林の中につけられた電光形の道を下ることしばし、先に別れた道と合流し、程なくして裏参道登山口となる。

ここには
5-6台は駐車可能である。この先は一部舗装された林道を橋立川沿いに下るが、石灰岩の絶壁が見えると馬頭観音のある橋立寺も近い。橋立寺は秩父34ヶ所札所のひとつ、28番石竜山橋立寺と呼ばれており、今年は12年に一度の午年総開帳が11月末日まで行われているため参拝客が多かった。

橋立鍾乳洞もここにあり入場料は
200円。橋立寺から秩父鉄道浦山口の駅までは徒歩10分の道のりで、秩父民俗資料館がその途中にある。(こちらは無料)浦山口の駅前にセブンイレブンの店舗があり、昼食を購入できることがわかった。

4.         コースタイム

登り:横瀬駅(70分)一丁目登山口(50分)大杉の広場(30分)武甲山山頂 (計2時間半)

下り:武甲山山頂(20分)長者屋敷の頭(25分)分岐点(5分)裏参道登山口(30分)

橋立寺(10分)浦山口駅 (計1時間半) (山頂での休憩と参観を除く)

                                                                                                                                     (中野 記)

                              台湾「玉山」登頂に成功!

                                      三田村 孝尚

 ヤッター 玉山 山頂である。平成14年8月9日 午前5時30分

「寒い!」・「強風!」・「ガス(霧)がひどい!」 想えば長い道のりであった。 4年前、田添氏が台湾旅行より帰った際、「なんとかOB有志で、玉山登頂と留 学生を訪ねて台湾に行きましょう。」と言うことから、今回の話しがはじまった。

 玉山登山口の石碑のある塔塔加鞍部より、登山の始まりである。なだらかな 細い道が長く続いている。

 先日の台風の余波で大岩が道をふさいでいるのが見える。排雲山荘まで、約 5時間の行程である。登山ガイド紅氏、陳氏と合流!崩壊した急斜面を慎重に 通過。そのあとの登山道は良く整備されており歩きやすい。

 ガス(霧)が深く、風も強い、雨になるかも知れない。3000m近いのに 樹林帯であり、道沿いには「コケ桃」や「鳳仙花」(日本のものとは少し違う様 だ)「小百合」等が咲いており、疲れを癒してくれる。

 孟禄亭を過ぎ前山口で、登山口よりついて来た2匹の犬と共に昼食。紅氏がデポしておいた水で湯を沸かし、お茶を飲む。うまい。3杯も飲んでしまった。

 歩き始めるとやはり雨が降り出し、この日の為に購入した「ゴア」の雨具を 着ける。かなり冷えて来たものの雨具を着けると、結構暖かい。西峰小屋を過 ぎ樹林の中を行く。3000mを越えても、大木が多くあり、いわゆる原生林 の様で、日本とは異なる山容である。紅氏は日本版の高山植物の本で道沿いに 咲いている花の説明をしてくれるが、細かく比べると少し違うように思われる が、いろいろな種類の花が目につく。

 登山道には500mおきに標識があり、目安になる。ゆるやかな登山道を行 くと目の前に、「大スラブ」の素晴らしい一枚岩が現れる。脇の道をしばらく行 くと、山荘まで1.5kmの標識。荷物の重さが肩に食い込んで来る。あとひ と頑張りである。雨もしだいに上がり、太陽がときどき顔を出す。水の流れる 登山道を行くと石段が始まり、木の間越しに山荘の屋根が見える。石段の登り は結構きつい。

 着いた!3400m、排雲山荘 15時55分着 先着グループと握手。 16時 全員山荘着 寒い!防寒着を着込む。天候晴れ、ガスは晴れるが、風 は強い。夕焼けがきれいだ!明日の天気はどうなるか?気になる。

 山荘は、水道、洗い場、トイレ等完備しており、管理も行き届き快適である。 食後、山荘の外に出てみると、満天の星、そして「天の川」

 翌日、(8月9日)午前2時30分起床、傅氏、紅氏、陳氏 用意のキャベツ入り卵スープ。身体が暖まり、うまい!午前3時12分 出発 .。山荘からの登りは、つづら折りの山道、真っ暗な中にヘッドランプの光に照らされた大木が見える。3400mを越えているのに、この樹林帯はすごい。

 先頭を歩く紅氏の「星影のワルツ」の口笛が聞こえる。当方、歩くので精一 杯で余裕無し。森林限界、ハイ松帯を過ぎ、尾根を廻り込むとガス、風共にす ごい。ガレ場、岩場を登り返すと、クサリ場の急登である。クサリは霧で濡れ ていて、手袋をしているのに冷たい。次第に明るさが増してくるのが判る。

落石防止の防護ネットのトンネルを過ぎると、頂上も近い気配。先頭グループ の「着いたゾー」の声が聞こえる。まだ、急登が続く、ガスと強風が切れ間な く体をたたく。あと一息と思い、自分自身を励ます。だんだんと空が大きく見 えてくる。岩角を乗越すと、山頂は、すぐ目の前である。

 先着の堀沢、伊澤、菊地、日向、青山、紅氏等と握手。着いた「玉山登頂!」 岩陰にザックを置き、写真を撮り合う。田添、菅原、傅、陳氏着。またまた全 員で写真を撮り合う。

 東の空が明るくなって来るが、雲にはばまれ御来光は見えず残念。一瞬ガスが晴れ360度の展望!一同歓喜の声! 全員無事登頂! 感謝感謝!

 

 

             2002夏「台湾の印象」レポート(概要・抜粋) 

 二度目の台湾「新高山」登山と校友との交流会(報告)

      日本の教育の影響と「親日的な国民性」に接して

       田 添 正(国学院大U部wv8期OB会長・法政経51年度卒)

 平成14年8月9日、早朝、台湾の最高峰「玉山(新高山)」(3952m)に2度目の登頂を達成した。今回は山仲間(昭和15・16・17・19年生れ)の還暦祝と台湾の校友との交流が主な目的であった。

16年前に富士登山で偶然知り合った校友(短大農)と次回は是非台湾の新高山に一緒の登ろうとの約束を果すことが出来た。今シーズンも7月に富士山を2往復・山頂を9周し高度順応トレーニングを積んで臨んだ。

 下山後、台北市のホテル(拓植卒経営)の地下「台湾料理店」で農獣医の校 友4名それに知人3名と我々8名で「台日友好親善交流会」を開催した。

2名の校友は、現在建設中の台湾新幹線(台北―高雄)工事に携わり、1名は造園 の自営でそれぞれ活躍していた。また、私が持参した「生物資源科学部湘南校 舎」と「六会日大前駅」の写真を見て、母校の発展振りに驚いていた。

 その後、台東から緑島・蘭嶼島へ船で渡り、蘭嶼島では80歳前後の先住民 「ヤミ族」(元日本兵)と戦時中に受けた、日本の教育と日本語について話が弾 み、日本の軍歌を次々に歌い出し驚かされた。さらに、台東の先住民「プュマ 族」の家でも70歳前後の親戚知人が集まり大歓迎を受け1泊お世話になった。

話題は、「ヤミ族」の時とほとんど同じで当時、日本の教育を受けた人(9つの先住民族)の共通語は、今でも「日本語」と聞き「教育の果す役割」の重大さを再認識し、離島へ行ってもカラオケで「日本語で演歌」が歌われているのを見て台湾人は「親日的な国民」だと感じ帰国しました。

 

                                             霞沢岳−2,646m(長野)山行記録

     平成14821日−22日(水・木)天候・晴れ、気温 山頂12度程度 

     ルート:上高地より徳本峠小屋泊で山頂往復、単独

  霞沢岳は上高地の入り口にあたる大正池のほぼ真上に位置し、焼岳と対峙するようにして聳えている。登山道は徳本峠よりの往復による他はなく、峠小屋の関係者により開かれた。徳本峠までの道は、島々宿から南沢をさかのぼる「伝統的」なルート、鍋冠山・大滝山を経由するルートおよび、そしてもっとも一般的な上高地・明神から白沢沿いを行くルートがあるが、最後のルートにて入山した。

朝8時新宿発のスーパーあずさ3号に乗れば、小屋の夕食の時間である午後5時までには余裕をもって到着できる。夏の上高地は平日といえども大勢の観光客や登山者でごったがえしており、バスターミナルから河童橋にかけては銀座や新宿の繁華街とその賑わいは大して変わらないほど混雑している。

明神までの約4キロの道のりも人の往来はひっきりなしである。明神を少し過ぎた白沢橋から右に折れて、ようやく雑踏から解放される。

徳本峠への道は、最初は自動車が通行できる広い道を白沢沿いに歩き、木の橋を渡り峠まで3キロの道標を見たところから山道となる。道はなおも涸れ沢となった白沢沿いをゆくが、やがて山腹を緩やかにトラバースして今度は黒沢沿いに行く。

途中、山崩れで登山道が崩壊している箇所があるが、ペンキと道標に導かれて涸れ沢となった黒沢の中をしばし行き、元の登山道に戻ると、道はジグザグにつけられ傾斜もやや急になる。

しかし、昔からの往来に使われた道だけに、きわめて登り易い。最初の水場にはベンチが置かれており、ここで白沢橋の分岐から約3分の2。小休止の後、なおもジグザグにつけられた道を行き、最後の水場を越えて一度トラバースした地点で、峠まで800mの標識を見る。霞沢岳の分岐をやりすごせば、小屋までは200mの距離である。この区間に、ツリガネニンジン(ヒメシャジン)、オオニガナの花。

徳本小屋は定員30人の小さな小屋であり、山小屋という雰囲気をよく残している。現在ではほとんどの小屋は発電機をそなえているが、ここは昔ながらのランプに頼っている。私は、こうした小屋を北アルプスではあとは餓鬼の小屋しか知らない。

この日の宿泊客は22名、あの上高地の雑踏がウソのような静けさである。小屋の展望台は穂高を望む絶好のポイントであり、三脚を立てている人がちらほらいる。

   小屋の朝食は6時と、山小屋としてはきわめて遅くはじまる。下山までの時間を考えて、お弁当(おにぎり)にしてもらい515分出発。その日に霞沢岳に登る登山者では、最後発となった。登山道は展望台を通る近道があるのでそれを利用する。

5分も行けば下からの登山道に合流し、すぐに急斜面に電光形につけられた道を2428mのジャンクション・ピークをめざす急登になる。シラベやコメツガの針葉樹林帯の中をゆくので、眺望はわずかに途中のスタジオ・ピークと記された場所ならびにジャンクション・ピークでわずかに、東面が開けるのみで、集中して足を持ち上げることができる。

この後は、2261mの小規模な湿地があるところまでは、ところどころに泥濘のあるゆるやかな下りとなり、高度を落とす。湿地の水は沸かして飲用に耐えられるかどうかであり、他の水場は山頂まで一切ない。湿地からは尾根道となるが、とかくアップダウンが多く時間がはかどらない。

尾根道はところどころで東側斜面がガレており、樹林の間から目指す霞沢岳がようやく望める。途中でオコジョを見た。こうしたガレ場の草付きの斜面にようやく高山植物が姿を現すので、お花見も気が抜けない。

尾根道の樹林帯にはいつしかダケカンバが交じり、花はカラマツソウ・イワハゼ。サンカヨウはもう実をつけていた。小さなコブの登りの途中の草付きにはハクサンフウロ、ウサギギク、ミヤマアキノキリンソウ、ミヤマトリカブト、ミヤマハハコ、オヤマノリンドウの花。

K1ピークへの登りはガレ場の真上にあたり、穂高方面の展望のきく西側斜面の急登となるが、ザイルがところどころにあり、いかにも無理やり「切り開いた」という感じの道である。ナナカマドやミヤマハンノキの枝や根にもすがり、慎重に登るとやがて森林限界を超えハイマツが現れ、狭いK1ピークに到達する。

山頂までは、K2ピークを越える岩場のアップダウンの道が続くが、さほど危険なといころはない。この岩場では、トウヤクリンドウの花。山頂からは、穂高連峰が新鮮な角度で迫り、焼岳・乗鞍岳も至近距離にあった。ただ、槍の穂先は穂高の陰に隠されていたように見えた。山頂付近に雷鳥の親子。

予想していたことではあったが、アルバイトは峠小屋と霞沢山頂の標高差500mのみから判断した場合より厳しかった。累積標高差は下りを含めるとその倍を超えそうである。好天に恵まれたこの日、出会った登山者は前日の小屋泊まりの人がほとんどでわずか12人。

穂高連峰の展望がすばらしく200名山にも数えられる山なので、もう少しは登られてよいだろう。帰りの明神、高た。地へと帰る道すがら、××ツアーというリボンを下げた50人以上の槍ヶ岳へと向かう団体客を見てそう感じ

    コースタイム:1日目 上高地(35分)明神(1時間20分)徳本峠 

                         2日目 登り:徳本峠(50分)ジャンクション・ピーク(20分)小湿地(1時間50分)K1ピーク(30分)霞沢岳 (計3時間半)下り:霞沢岳(30分) K1ピーク(1時間半)小湿地(40分)ジャンクション・ピーク(30分峠)徳本(計3時間10分)(50分)明神(35分)上高地(山頂での休憩を除く。) 

                                                                                         (中野 記)

                                          礼文岳−497m(北海道)山行記録

平成14713日(土)天候・霧、気温 山頂10度程度 

ルート:起登臼(きとうす)登山口より山頂、帰路は内路(ないろ)登山口へ、単独

  1.東京から北海道への週末登山は、羽田からの千歳行きの飛行機と札幌始発の夜行列車が定番である。今回も午後8時過ぎの飛行機と特急列車「利尻」の組み合わせに、稚内から礼文島までの船旅がつき、礼文島・香深(こうぶか)港までは12時間の道程である。

2002年版の昭文社発行の「山と高原地図・第1巻利尻・羅臼」に依ると、礼文岳には島の東側の起登臼および内路から2本の登山道が開かれている。朝一番に稚内を出港するフェリーは、船泊・須古屯方面のバスの接続は悪い。そこで、ターミナルから約8キロ離れた起登臼まで徒歩で行くことにした。

途中、寺然(てらしかり)にあるコンビニで昼食を購入。右手に海を見ながら、途中香深井(かふかい)の町を通過し3本の防波覆道を通り、1時間半かけて登山口へと到着。先のガイドブックには、「起登臼にはバス停がなく、降りる場合には事前に運転手に告げて下車のこと」と記してあるが、バス停が設置されていた。起登臼の登山口は何軒かの集落・北海道電力の施設やあわび養殖センターの建物をやり過して、道がカーブし終わったところから始まる。

ところが、この登山口の入り口には「礼文岳に登山する場合は内路にお回りください。」という標識が掲げられていた。内路まではさらに2キロ以上は舗装道路を歩かされるし、須古屯行きのバスには5分前に追い越されたところである。自転車に乗っていた地元の人にその登山口を教えていただいた後だったので、「どうしたのだろう」と訝しがりながらも登山を開始した。

最初の草付きの標高差150mの登りが全行程中もっとも急である。登山道は尾根の樹林帯へと一直線に登って行く。しかし、晴れればその向こうに利尻富士が控えるという海を見ての眺望、何よりも足元に咲く花々、ミヤマシシウド・紫のレブンソウ・ピンクのエゾシオガマやチシマゲンゲ・黄色のウサギギク、残念なのはレブンウスユキソウの花は終わっていたが、それらの花々を愛でて登るのは苦にはならない。

礼文は「花の浮島」の名に恥じない。結局、この短い区間に花がもっとも多かった。樹林帯に入ると道はほぼ右手に、右手にと向かうようにしてつけられている。昨日の雨のためコースは滑りやすかったが、傾斜がゆるくなるため登りにくさはさほどでもない。道はしっかりとしているが、樹林帯が切れるあたりの下草やササがところどころで道を隠し、クモの巣が張るなど人がほとんど通っていない様子であった。

「ほとんどの登山者は内路から往復するのだろうか」、と考えながらダケカンバやトウヒ・トドマツの樹林帯を縫う登山道を緩やかなアップダウンを繰り返して内路登山口との合流点である二股に到着した。ここで今までの疑問が氷解した。今、通ってきた道には「進入禁止」の標識と鎖が架けられ、起登臼コースの案内はカバーで隠されていた。ただ、思わぬ方角からの登山者にやや呆気にとられていた中高年の女性登山グループの顔がもっと印象的ではあったのだが。

この起登臼コースも、数年前まで東側の通称8時間コースの途中から登られていた笹泊コース同様、廃止の運命をたどるのであろう。役場には確認していないが、自然環境の保護と地方財政の逼迫という一見、縁のなさそうな命題が偶然に結びついた結果の産物であることを強く思う。

内路からの樹林帯の赤土のぬかるみの区間が最も悪い。長くは続かないのだが、下山は特に要注意。ハイマツが顔を見せ、ミヤマハンノキがカンバにとって代わり、山頂まで1キロの標識を見るころからこの悪路から解放される。そして、北側の緩斜面にはエゾカンゾウの大群落、花は今がピーク。道の両側には湿気を好むゴゼンタチバナがびっしりと咲いていた。410mの小ピーク付近で、矮性化したハマナス。

同じバラ科なのでタカネバラに瓜二つ。20mほどくだり、100mの高度を登り返すとケルンの立つ礼文岳山頂に登り着いた。頂上は深い霧の中で、期待していた眺望はまったくなかった。山頂付近にエゾツガザクラの花。なお、下山時に先の400mピークでここが頂上だと勘違いしていて、昼食を広げていたグループがあったが、前が見通せないとこうした誤解もおこりうる。

二股分岐から先の登山道は緩やかに下り、樹林帯を抜けてなだらかな丘陵とその間を縫う県道、そしてその先に海が見えてからが長かった。最後は内路の集落が見えると、登山道は電光系につけられ、高度を落として民家の間を抜けると、程ほどなくしてバス停に降り立つ。ここには売店と公衆電話がありタクシーが呼べる。天候のせいか、あまり登山者には会わなかった。

この後巣古屯方面のバスに乗り、4時間コースのさわりを歩いてみたが、礼文は全体的に草付きのなだらかな丘陵がその大半を占めている。これは、利尻島の鋭く天を指す利尻富士とは好対称で、礼文岳は「登る山」ではなく「歩く山」なのだと実感した。礼文を代表するもうひとつの花、レブンアツモリソウの花期もすでに終わっていたが、他の豊かな花々に加え、引きもきらず往来していた本土からの満員のツアーの観光客を乗せたバスの列にこの島の最高の季節を見た。

    コースタイム:香深フェリーターミナル(90分)起登臼バス停(45分)二股分岐(45分)礼文岳山頂(30分)二股分岐(30分)内路バス停 (山頂での休憩を除く。)

北海道の残雪状況:札幌が快晴・気温が30度を超えた日に稚内は15度までしか上がらず、利尻山がひと時も見られなかったうえ、帰りの飛行機でも北海道の山々は雲の中でした。ただ宿泊した民宿の方に聞いてみたところ、利尻山の残雪は例年以上に多いということでした。83日から一週間ほど北海道の山を訪ねますので、最新の情報は後日に、乞うご期待ということで。                                                                                                         (中野)

                                                     雷さまと遊んだ越後中の岳
                                                    
2002年6月20日〜23日

1. 目 標 山  越後三山 新潟県南魚沼郡六日町と群馬県利根郡水上町の県境稜線
             丹後山 (1,808.6m)
             兎 岳 (1,925.8m)
             中ノ岳 (2,085.2m)
2. 期  日  平成12年6月20日(金)〜23日(日)
3. メンバー   古谷、高橋、2名
4. 宿  泊  テント・丹後山避難小屋・十字峡登山センター
5. 行  程  十字峡→鉄砲平→丹後山→大水上山→兎岳→中ノ岳→日向山→十字峡
         
                                 
 小屋の屋根を突き破らんかに叩きつける雹、ピッカと光った途端に ガン、バリバリ、インシャーワー。梅雨の真っ只中、馬鹿は死ななきゃ治らない。

 20日午後9時過ぎ小雨降る中、十字峡に到着。トンネル内車道にテントを設営、近年街中でも農村でも燕の巣を見る事が少なくなったと思ったら、燕も他の動物同様人間どもに追いやられ人里離れた山中のトンネル内に営巣していた。トンネル内の路面は燕の糞で黒白のゴマを蒔いたように模様替えしいたので、最も模様替えされてないない場所を選んで設営した。
 
21日子燕の鳴き声に起こされてテントを出る。5時過ぎトンネルそばのゲートで登山届を提出し出立。
約30分三国川 (サグリガワ)本流に沿って左岸林道を進み標高530mの登山口へ、林道は栃の木橋を渡って右岸へ、渡ってすぐにしっかりした道標のある登山口に辿りつく。低気圧状態で高度計は実際より100mプラスの630mを指していた。
 
登山口と丹後山頂との標高差は1、300m弱、水平直線距離で約3km標高差は穂高に登るのと大差なく歩行距離は短い上に直登ときているからきつい登りになりそうだ。

5時50分登山口を後にして樹林の中へ入った。ガスで視界はきかず小雨が降ったり止んだりだからパーカーは脱げない。今年は石楠花の当たり年ではないのか、花をつけた形跡はなくもう新芽が開きかけ、足下のイワウチワも咲き終っていた。径にはまだ新しい白御影石の「何合目」表示が頂上まで設置されているが、ガスで展望もない故ほとんど休まず登ったから合目道標の全てを目にする事が出来なかった。

しかし足下では白ロウで作ったように透き通るような可愛いギンリョウソウやイワカガミの群生、ショウジョウバカマなど、またコブシや山ツツジなどがが雨露のイヤリングで花を飾って迎えてくれていた。

 標識がなくどの辺りがカモエダズンネだったのかジャコの嶺だったのか定かでないまま通過、途中流れる雲の切れ間に栃の木沢の上流、コウガイ沢やかコブシ沢のうねうねと天に昇って行く雪渓が雲の中に消えていっているのが見えた、さすが名だたる豪雪地帯残雪はまだしっかり残っていた。
 
仙人は霞を食っていたとか、長生きするはずだガスはマイナスイオン身体に良いものを食らって生きているからだ等と、ガスで何も見えないのでくだらん事を考えながら登ること3時間半、1、480mと記されている六号目標識のある平に登りついたのが9時ちょうど、その辺りから潅木と背の低い笹の草原になる、ニッコウキスゲが笹竹
よりも背を伸ばそうとがんばっていたが、まだまだ花を見せてくれるのはさきのようだ。
 
越後沢山から巻機山への従走路分岐点到着9時50分、2002年発行の昭文社のガイドマップには藪で登山道はないと印されていたが、しかし巻機山へのコースに足を踏み入れたわけではなく、ガスで視界が効かないの明言できないが、立派な新しい道標もあり径も取り付きは明瞭なので縦走可能と思われる。

分岐点から丹後山山頂へは10分足らず、山頂手前すぐ右手湿地帯に避難小屋は姿を現した。まだまだ時間は早いが北西方向遠く、稲光がして雷様が太鼓をたたいて踊っているようだ、中ノ岳の避難小屋まで足は伸ばせないから今夜はこの小屋でお世話になることにした。
 
小屋は小奇麗で中二階、50人は雨露を凌げる、小屋近くに雪渓があるはずだがガスで見えない、しかし水は入口そばのタンクに屋根の水が溜め込まれるようになっていて奇麗だ。室内気温10℃、夏シュラにシュラーフカバーではフリースを着込んでも少々寒い、何枚かの毛布があり有難かった、六日町に感謝。
 
またまた「なんちゅうこっちゃ」5月の霞沢岳ではガスカートッリジを忘れ今度はラジオを忘れた。今夜この小屋にお世話になるのは我々2人だけだ、外に出て散策も出来ない、ラジオがないとなんと時間の経たないこと、その上気象の動きも分らない、雷さま達の動きも分らない。ラジオがあれば雷さまが近づいてくるのが良く分るのに残念。
 
翌朝4時ウグイスの挨拶で起床し5時過ぎ出発、小屋から5分とはかからないところにある何の変哲もない頂上を通過、15分ばかり鈴竹の草原を歩いただろうか、遠くで遊んでいた雷様が我々に挨拶したいのか段々と近づいて来た。ヤバイ! 踵を返して一目散、小屋に駆け込んだ。
 
小屋に逃げ込んだとたん、ピッカ、バリバリ、ドン。我々より雷さまのほうがよっぽど足が速かったようだ。それから約3時間あまり、雹を伴った雷さまが一緒に遊ぼうと言わんばかりに、小屋の周りでお祭り騒ぎだ、もう諦めて帰って行ったかと思ったらまた次のグループがやって来て騒ぎ出した。
 
やっと彼らが諦めて小屋を去って行ったのが8時前、我々も8時過ぎに小屋を後にした。ロスタイム挽回水溜りになった径を中ノ岳へ足を速めた。8時40分大水上山(1,834m)を通過、9時兎岳(1,925.8m)を通
過。 咲き誇っていただろうシラネアオイやハクサンコザクラが雷さま達のお祭りに荒らされて憐れなり。ハクサンチドリやエンコグサ、大きな花弁のキヌガサソウなどは雷雨に負けず咲き誇っていた

稜線の左栃の木沢側足下にはガスも手伝って張りついているだろう残雪は見えないが、右手利根川水源には残雪が続き、晴れていれば水源の扇型雪渓が眺められることだろう。

径は低部や利根川よりのヶ所で残雪に消え、度々雪渓に下りては又径に戻る、ここ一週間は誰も歩いた形跡はないようだ、雪渓にトレールは全くなく又ガスも手伝って雪渓から径に戻る取り付き点が分かり難い。

 ガスの中右手に連なる雪渓の頭を歩き、又眺めながら大小10数ヶ所のアップダウンを繰り返し池ノ段へ、雨は小降りになったと思ったら又強くなる、雲は流れているが晴れていくようには見えない。
 
池ノ段到着11時20分、右手雪渓を駆け登ったが小雨とガスで何も見えないので早々に踵を返し池ノ段へ、そのまま日向山へ向って急降下に入った。このコースにも新しい白御影石の合目標識あり、日向山手前生姜畑までは急降下に続く急降下、太ももがこわばってくる。生姜畑手前でカタクリの群生しているのを見、雪渓を踏んで日向山へ、日向山頂には無人気象観測用かコンクリート製らしき建物とアンテナー搭あり、又五号目の標識石もあり、このコースのちょうど中間点にあたるようだ。

 日向山を過ぎてブナ林の中を又急降下に急降下、今度は何号目、次は何号目と標識の号目数字が少なくなってゆくのが楽しみな下りなり。途中コブシの白い花が残雪と供に雨雲の中で明りを灯したように、樹林の中をぼんやりと明るくしていた。
 
やがて沢の流れの音が耳に入るようになり、十字峡の建物が眼下の樹の間に見えてきた。二合目、一合目と合目間がいやに長く感じられるようになって間もなく、十字峡の駐車場が足下に見え、コンクリートで固められた階段を踏んで車道に下り立つ。時は15時前、中ノ岳からの下り所要時間3時間半の行程なり。登山完了。
 
十字峡登山センターで蕎麦をすすりマムシ焼酎を馳走になり、五十沢温泉(イカザワオンセン)へ。混浴露天風呂で山の汗を流してコンビニで弁当を買い、又登山センターに取って返す。今夜の宿はこのセンターだ、素泊まり一泊1千円なり。電灯があり敷布団一枚200円24時間出入り自由、雨の日には極楽なり。

入山前に分っていればトンネル内でテントを張る事もなかったのに残念。23日早朝岩魚釣り場を捜しながら帰路についた。

 結び、
今回は山の性格と天候から高度計が良い伴侶にり、又ラジオを持参しなかった事が最大のチョンボでありまた。
                                 
 添付
@、 咲いていた花 
ギンリョウソウ・ウメバチソウ・イチリンソウ・ショウジョウバカマ・イワウチワ・イワカガミ・シラネアオイ・ハクサンコザクラ・ハルリンドウ・オオバナノエンレイソウ・カタクリ ・ハクサンチドリ ・ ツバメオモト・石楠花(稜線で)・キヌガサソウ・レンゲツツジ・ヤマツツジ・等など。

A、 行程タイム
           出発地       時間       到着地         時間
6/20  籠原       18:00         十字峡           21:00  テント泊
6/21  十字峡     5:05         登山口(栃の木橋)    5:35
     登山口    5:50     ジャコの峰 (六合目) 9:00
     分岐点    9:50      避難小屋        10:00 丹後山避難小屋泊
6/22  避難小屋   5:00      丹後山               5:05
                        引き返点              5:15
                       避難小屋              5:20
          避難小屋   8:20          大水上山                  8:40
                            池の段            11:20
                            中ノ岳            11:30
                             池ノ段           11:40
                             小天上          12:10
                             日向山          13:30
                             十字峡(登山口)   15:00 十字峡登山センター泊
 6/23  十字峡早朝出立帰路につく
                                         湘南山キチ爺でした

山行記録(日光錫ヶ岳)

 

  程:2002年5月3日(祝)〜4日(土)

登山者:キリン(単独)

  1.コースタイム

<5月3日(祝)> 晴れ、気温20℃位、風速5m

東武浅草7:10発(快速)→東武日光9:11着、東武バス9:26発→日光湯本10:55

湯本11:10→標高1850付近12:10→稜線13:10→前白根山14:20→白根避難小屋14:50(泊)

 ・・・・(歩程3:40)

  <5月4日(土)> 曇り時々小雨・ガス、気温10℃位、風速5〜10m

白根避難小屋5:10→白根隠山5:50→白桧岳6:10→ピーク2296付近7:00→錫ヶ岳8:0535→ピーク2296付近9:30→白桧岳10:25→白根避難小屋11:2545→天狗平12:30→湯本スキー場13:3050→日光湯本14:15 ・・・・(歩程5:45(ピストン)+2:10)

  2.行動記録

乗り慣れた浅草発の快速だが、今日はホームに人が溢れていていつもと様子が違う。うまく座れたから良かったものの、春日部を過ぎる頃にはラッシュ並みの混雑となって、さすがはゴールデンウイークである。湯元行きのバスも込んでいたが、ハイカーはほとんど途中で降りてしまい、終点まで乗って来たのは10名位であった。

足拵えをしてスキー場へむかう。広々とした斜面だが見える範囲にだれもいない。さっきまでの喧騒がうそのようだ。スロープのだらだら坂を過ぎて新道に入る。荷揚げリフトを見送って雪の付いた急坂を登る。急登に苦労してよい加減疲れ、まもなく稜線かなと思った時に、突然道の無い右方から初老の人が出てきて驚いた。白根沢を登ってきて(雪崩は?)、途中ですっころんで危なかったので左にトラバースしてきたのだという。良くしゃべる人で、何も聞いていないのに色々解説してくれるが、時間が掛かりそうなのでお先に失礼する。

  稜線は完全に雪に埋まっていて、トレースを拾いながら高度を上げる。日当たりの良い前白根山のピークは地肌が出ていた。正面に白根山が大きい。ゴツゴツして粗削りな顔をしている。五色沼は氷が蒼く透けて間もなく湖面が現れそうだ。振り替えると中禅寺湖と男体山から太郎山辺りの山が仲良く並んでいる。天気上々、少し強めの風が心地よい。しばし見とれるが、寝床を確保しようと小屋へ急ぐ。避難小屋2時50分着。まじめに歩いたのに、コースタイムより時間がかかったのには少しがっかりした。

  小屋はまあまあきれいで、10名位入る長い板床が二段と、別の一角に2名位の四角い板床が二段となっている。土間には簡単なテーブルや椅子もある。着いたときには荷物がいくつかあるものの人影はなく、うまく狭いほうの一角に寝床を確保する。しばらくするとピストンに出かけた人が戻ってきたり、さっきのおしゃべりおじさんが到着したりで賑やかになる。単独行が5人、二人連れが2組の計9名が宿泊した。皆さんの話を聞いていると、錫ヶ岳はおろか皇海山まで縦走する計画の人もいて、国境稜線は春山のメッカといった感じだ。今日、錫ヶ岳を往復してきたという人から白根隠山の下りの岩場の様子を聞いて、あとは早めに就寝する。

  翌朝は4時起床。5月の4連休で今日が一番天気が悪い予報であったが、案の定小雨が降っている。カッパを着ていると雪の斜面で転ぶと止まらないし、アイゼンも4本歯なので、雪が硬かったら途中で止めようと思う。同宿の人達は出歯アイゼンにピッケルの重装備なので、少し腰が引ける。ともかくロングピストンということで、色々とサブザックに詰めて出発。稜線まで戻って白根隠山へと向かう。

  雨は小降りだが風が強い。その分展望が利くので、まあまあのお天気というところか。白根隠山は日当たりが良いので雪が消えている。広い稜線は草原状でどこでも歩ける。稜線漫歩で気持ちの良いところだ。昨日様子を聞いた南西斜面の下りはザラ地で、落石に気を付ければ特に危険なところはない。白桧山の登りから残雪の上を歩くことになる。このころには雨も上がって時々薄日が射す。前方に錫ヶ岳から皇海山方面、右に白根山、左に中禅寺湖から日光連山と展望はほしいままだ。この頃、光線の加減で錫ヶ岳に虹がかかる。ほんの数分だったが、山の神様のすてきなプレゼントに心が和む。

  心配したこともなく、今日は雪が柔らかいのでキックステップが良く効く。朝凍らなければ軽アイゼンにストックで充分だろう。積雪は多いところで2m位か。時々夏道が出ている所があり、道の様子を見ながら歩く。全般に背の低い笹か草地で明瞭な踏跡が付いている。道標の赤ブリキが5m間隔に打ってあって、それを順番に拾っていけば迷う心配は全くなさそうだ。と思っているうちに2296mピークの手前から樹林帯に入り、潅木の少ない歩きやすい所を選んでいるうちに道を外れる。道標が多いので地図を出さなかったのがいけなかった。方角を確認して錫の水場へ下る。2170mの鞍部に標識があって、水場は西に1分と書いてあった。

  いよいよ錫ヶ岳へ最後の登り。雪の斜面を踏みしめていく。この辺りまでくると、白根山は後方に下がって北側に尾瀬方面が開けてくる。ヶ岳がピークを岩と雪のコントラストで飾っているのに対し、至仏山はお化粧をしたように真っ白である。20年前に、あの斜面を山スキーで下った時のことを思い出す。両山の間には平ヶ岳への稜線が続き、西に小さく真っ白な山並みが見えるのは谷川岳であろう。

錫ヶ岳のピークに8時過ぎに着く。山頂は樹林に囲まれて展望は利かない。3人連れのパーティが休んでいて、今日は国境平まで行くという。3名が去った南の斜面へ出て覗いてみると、西ノ湖が見えて皇海山へ向かう国境稜線がうねうねと続いていた。ピークでおにぎりとビスケットで早めの昼食として、少しゆっくりする。

  お腹が膨らみ元気が出たところで出発。錫ヶ岳の雪の斜面を快調に下る。途中で小屋で一緒だった二人組とすれ違う。縦走用の大きな荷物なのにすごい健脚だ。錫の水場に下ったところでも初老の御夫婦に出会う。この方たちも縦走する予定とのこと。さらに戻ると、2296ピークの手前にも単独の人が座り込んでいて、良く見ると天気図をつけている(エライ)。結局、今日から縦走するのはこの4組だけのようで、他はだれにも出会わなかった。

  帰りのほうが早いだろうと踏んでいたのだが、結構アップダウンがあって、結局往きと同じくらい時間がかかる。避難小屋に戻ると、おしゃべりおじさんが仙台からきた登山者のグループと談笑している。聞くとは無しに聞いていると、今晩同じ宿に泊めてもらうことになったようで、ちょっと可笑しかった。そんな話を聞きながら手早く荷造りして湯元へ戻る。一式背負うとやっぱり重い。2時半のバスに乗ろうと思って、天狗平で一本取ったあとは、スキー場まで一気に下った。湯元の街に出るとやわらかな陽が射して、遅い桜がちらほらと咲いていた。

  2年越しで、やっとの思いで踏んだ錫ヶ岳のピークだが、思いのほか人が入っていて、ヤブ漕ぎルートファンディングという世界とはずいぶん違う感じであった。それでも、こういう俗化されていない地味な山を好んで歩いている人が結構いて、**名山とか人の評判に流されずにきちんとした山登りをしているのには感心した。私もチャンスがあれば、いつか皇海山まで国境稜線を歩いてみたい。

                                     キリンさんでした

                                  三度目の正直(リベンジ霞沢岳登行記録)

場    所     霞沢岳(2,645.6m) 
          この山は3頭峯で高差のあまりないピークが3ヶ所並んでいます
          一番東側のピークをK1と呼称・・・ピラミット型で一番スタイルが良い
                               帝国ホテルから頂上が見えます。
          2番目のピークをK2と呼称・・・・・・変哲のないピーク
          一番西側のピークが主峰・・・・・・・・一番高いピーク
                               上高地梓川畔からは頂上は見えません。
登 行 方 法    ピストン    島々→二俣→岩魚止→徳本峠→霞沢岳→徳本峠→
島々
年      月   2002年5月1日(水曜日)〜 5月4日(日曜日)
天     候     1〜3日晴 4日小雨
メ ン バ ー   古谷・高橋 2名

 霞沢岳は上高地に入るほとんどの人達には無縁の山で、上高地に入り河童橋に立てば、岳沢の圧巻に魅せられて通常一般には見向きもされない山だ。言いかえれば穂高山塊に比べ地味な山だけに継子扱いにされている山とも言えるかも知れません。
 
多分興味をそそられる事はなく、200名山にその名が上げられなければ無視され、霞沢岳って何処にある山と聞かれ続ける山塊かもしれません。 しかし帝国ホテルの南側に今にもホテルを押しつぶさんが如く、黒々と屏風のようにはだかる迫力には山屋ならずとも、穂高山塊とは違った驚きに似たファスィネイションを感じた人も多いいと思います。
 
穂高や槍へ入る度にファスィネイションを感じ一度はその頂きに腰を下しみたいと思っていましたが、徳本峠小屋の方々の努力によってルートが開かれるまでは、最短距離の太兵衛平辺りからか、あるいは産屋沢か太兵衛尾根、又は下千丈沢から這松帯に大変なアルバイトを強いられる方法がとられていたようで、誰も私のプランに耳を傾けてくれるものはいませんでした。

何年前だったか記録が見当たらないので定かではありませんが、サラリーマン現役時代の新雪が降ったばかりの11月初旬、単独でトライしましたがK1までで時間切れ、勤め人の悲哀か、頂上を目の前にして残念、踵を返さざるを得ない苦い経験をし、なんとしてでもと思っていた山です。
 
平成12年4月末テントを背に古谷氏と二人明神側から入り再挑戦。JPにベースを置いてアタックのプランも悪天候とハードさにコンデションを崩し、JPへの登りの途中で登頂を諦めUターンし又の機会に委ねました。

今回が三度目、三度目の正直。今回は何としても頂きに腰を下し美味いタバコを味わいたいものなり。
 
今回は昔バス賃稼ぎや、時間不足で最終バスに間に合わずに通い、勝手知った島々コースから入った。

5月1日、島々村から歩いて約1時間の距離にある砂防ダムの手前、林道脇広場にテントを張り1泊、翌朝ダム手前のゲートに車を置き、5時出立、林道を約30分歩いて二俣へ到着。
 
最近建てられたらしい小奇麗な雉撃場でお腹を軽くして二俣を後にした。古くは戦国時代、中尾峠径と共に飛騨から信州安曇に抜ける古道、裏街道として使われていた径で、昭和初期に釜トンが出来るまではウエストン以来外人達がヒマラヤトレッキング宜しくボッカを連れて入山していた径だ。当時上高地には梓川の右岸にある温泉旅館清水屋1軒のみだったとか。
 
余談はこれくらいにして本題に戻ります。二俣から島々谷南沢の右岸につけられた径を進む、径は二俣を出てすぐ高巻きの登りになるが、少し登ってからは遊歩道並のの径になり、三木秀綱奥方侍女悲運の碑を左に見て吊橋「行き橋」を左岸に渡る、しばらく行くと今度はアルミの橋「戻り橋」を渡って右岸へ、そのまま奥入瀬的、それ以上の新緑に彩られた渓谷美を右手に楽しみながら歩を進めると、又左岸に径は移る。すぐにそれと分る「離れ岩」をやり過ごして木製橋を又右岸に渡る。

 これからの景観が一層良い、ゴルジュに木製の桟橋がしばらく続き、簡単に入れればGWのこととて観光客で賑やかなことだろうけれど、我々以外に行き交う人間はいない。但し人間ならぬ猿君はいました。

 桟橋が終ってから谷巾は広くなり河原を歩くようになり、所どころで山肌が崩壊して土砂や岩が行手を阻むようになり歩きずらくなる。右岸に落ちてくるワサビ沢を過ぎると径は又左岸に渡る、渡るとすぐ目の前に古びた昔ながらの小さな小屋が目に飛び込んでくる、岩魚留の小屋だ。小屋到着7時45分、二俣から約1時間15分の道程なり。
 
小屋は閉まっていて人影なし。小屋の前には水道が引いてありベンチもある、又軒下に縁側もありまだ時間は早いので美味い水で喉を潤し、これからの登りを考え紅茶でも沸かしてゆっくり新緑を満喫しようか。

「アチャー!なんちゅーこっちゃ」 バーナー機具はあるのにガスカートリッジがない。テントを撤収した時に留守番組装備の仲間に入れてしまった。今夜は素泊まり、紅茶どころではない。こんな失態は始めてだ。取りに戻れば3〜4時間はかかる。日が落ちるまでには小屋に辿りつけるだろうけれど、参った参った。結局なんとかなるさで熱い飲物は諦め、握り飯をほおばり8時20分小屋を後にした。

小屋を離れてすぐ右手から落ちてくる岩魚留沢を渡り、左手に岩魚留ノ滝を見ながら進むと川幅は広くなる。

中ノ沢、障子川瀬沢などの沢をわたりながら登って行く、径は次第に勾配を増して来て、残雪の上を歩くようになる。小屋を後にして約2時間弱で沢が三本合流した広い所に出る、中と左手の沢は雪渓となっている。そこが力水地点で清水の出ているところは右岸から登って来た径を、最後のアルミ橋で左岸に渡り、中の沢を少し右手にトラバース気味に登り右の沢の雪渓尻を大きく高巻き、渡り込んだところにある。

到着時間10時15分、岩魚留から約2時間弱かかったようだ。これからは夏径が稲妻型にジグザグとなるが、ほとんど残雪に隠され残雪を直登することになる。
 
力水で力をつけてストックをピッケルに変え10時45分ザックを背負った。始めは残雪からはじき出ていた倒れた潅木や、鈴竹も完全に残雪の下に消え、登るに従い次第に急峻な雪渓を詰めてゆくことになる。
間もなくエンジン音が聞こえてくるようになり小屋前に登り着く、時計の針はちょうど12時半を指していた、力水から1時間45分かかったようだ。今日のアルバイトは終了。
 
テント場にはテント1張りのみ、その主は霞沢岳に挑戦中の由、今日の泊まりは3人だとの事、ラツキー。
 恥ずかしながらと主人に頼んだら気前良くガスカートリッジを提供してくれた、これまたラッキー。
ガスならまだ良い方、テントのポールを忘れてきたやついると慰めてもくれた。地獄に神さま仏さまなり。
 
5月3日予定通り5時出発、昨夜は星が出て月も光々と山肌を照らしていた、心配
した天気のくずれもなさそうだ。

小屋から一旦少し明神側に下り明神への径と分かれて、小屋の西にある小ピークを蒔くようにしてトラバースして上昇、JPと小ピークの鞍部に出る。新しいトレールはなくいきなりのアルバイトで小休止、これからJPまできつい登りが始まる。稜線の南側に張りついた雪庇の残存の上を登り樹林帯を適当に稜線伝いに登って行く。

JP近くになり少し勾配が緩くなったところからJP頂上経由を避けて巻き気味にして登って行き、頂上をショートカットする方がベターなり。夏径はJPの頂上を経由しているが雪のある時は頂上を巻いたほうがエネルギーの削
減になる。但し樹林帯で視界が悪いのでミスると面倒な事になる、JPの頂上及び西斜面はなだらかでだっだっぴろいから御用心、御用心。

JP頂上下辺りを6時半頃通過、歩を次第に南方小湿地点(今は雪の下なり)方向に向け、小湿地辺りでテントと出合い、そのテントを今朝霞に向け出ていったパーテイーのトレールに合流、やがて霞沢岳の3ピークを繋ぐ稜線が木の間に見えてくるよになり、しっかり下ってから大小4〜5ピークを越えK1下のコルに出る、この辺りが樹林帯の限界か、稜線部は這松がへばりつき、岳樺が何本か残雪に剥ぎ取られそうになって立っている、残雪の壁がK1のトップに向けてそそり上がっている。

 霞沢岳ルートで最も急峻な約30分の登りだ、足下の残雪が雪崩れ落ちない事を祈りつつの一歩一歩足を上げて行く、こんな時は先行者のステップが有難い。K1到着9時前5分。晴れ無風状態で言う事なしの贅沢な日和なり。
 
K1からK2へは一旦急降下してから這い松の中の岩稜を辿る。K2通過9時20分、途中2人組の先行者と挨拶を交わし霞沢岳到着9時45分。徳本峠から4時間45分、ちょっとかかり過ぎたか、しかし三度目の正直は達成なり。
 
梓川を隔てて以前岩雪と戯れて来た穂高、岳沢に落ちている岩稜があたかも扇の骨のように見え、以前アタックし足跡を残した数々の岩稜ルート、その骨の先端の一つジャンダルムは特にその姿が顕著だ、また奥穂、明神東稜、ひょうたん池のコル、奥又白、数年前霙混じりの風雨にさいなまれて、かじかんだ手で腰にお食い込む重いザイル引き上げ、濡れた岩にしがみついて攀じった前穂の北尾根から屏風の頭、右にアルプス銀座の山々、遠く八ヶ岳とかすかに富士、南ア中央アから御岳乗鞍、そして目の前に白煙を上げる焼岳、そしてかすかに見える白鯨白山、笠ヶ岳と昨暮遊んだ西穂。360°の展望を心行くまで楽しんで10時過ぎ腰を上げた。

 K2、K1通過、一気にK1下のコルに下り、大小のピークはカットし北斜面を巻きながらJPへ、先行者のトレールを辿って徳本峠へ、途中今夜の宿をJPに求めてテントを背にして、登って来る数パーテイーと行き交う。
徳本峠帰着午後1時半、霞沢頂上から約3時間の行程なり。往復7時間45分なり。
 
今夜は小屋の食事を楽しむことにして、夕飯まで小屋でストーブをあたり満足感に浸ってごろごろ。今夜の客は40人近くになるらしく、何時の間にか土間が登山靴の展示場となっていた。
周知の通り小さな小屋、人息で暑い、下着1枚で夜を迎えた。

 5月4日は雨、パーカーを着込んで6時半に小屋を後にした。力水到着7時、岩魚留到着8時40分。今日は岩魚留の小屋が開いていた。
 二俣到着10時10分、ゲート到着10時50分、徳本峠小屋から4時間20分、途中山菜採りに約1時間ばか費やしたので正味約3時間半の下りなり。
 
登る折に見つけておいた、岩魚留手前から力水手前辺りに至る間にちょうど採り頃の「こごみ」や蕾みを付けた「ワサビ」など、群生地が点在していたのでお土産作りに河原を歩き回り、流れで洗ったりした為余分に時間を食ったようだ。これにてリベンジ登行終了、後は温泉にて汗を流し信州蕎麦をくらってから帰路あるのみ。
 
追記
高山植物はエンレイソウ、ハシリドコロ(有毒草)、エゾエンコグサ、スミレサイシン?(多分)等が二俣から岩魚留辺りまで春を迎えて咲いていた。
                                      
       
「文語説明」  JP=ジャンクションピークの略

  コースタイム
   出発地     時間    到着地      時間
5/1   
   茅ヶ崎   12:15   塩 尻     15:30
                   島 々     16:00
                   ゲート      16:45 含む営地捜 
  
                                 テント泊
5/2
   ゲート     5:00      二 俣      5:00    
   二 俣    5:45       水 場      6:30
                     岩魚止      7:45
   岩魚止   8:20       力 水     10:15
   力 水   10:45       徳本峠     12:30    小屋 

5/3   
   徳本峠    5:00        鞍 部       5:15
   鞍 部    5:30        J  P        6:30
                      第1のコル     6:50
                      第2のコル     7:00
   第2のコル 6:15        最後のコル     8:00
   最後のコル 8:20       K 1          8:55
   K 1     9:00       K 2           9:20
                     K3(霞沢岳主峰) 9:45
   K3     10:05       K2           10:25
   K2     10:30       K1           10:40
   K1     10:50      最後のコル     11:05
                     第1のコル     11:50
                      J P          12:50
                      鞍   部        13:10
   鞍部    13:15      徳本峠       13:30   小屋
 泊
 5/4  
   徳本峠    6:30      力 水      7:00
                     岩魚留      8:40   山菜採
に約30分
   岩魚留    9:00      離れ岩      9:15
                     スズシ沢     9:30 岩魚留まで
・二俣まで共に 2、6km             
                     二 俣      10:10
                     ゲート       10:50
   ゲート   11:00      島々       11:20
                     茅ヶ崎      22:30                  湘南山キチ爺作

                                      

                                                       上越のマッターホーン登行記録

    所   太源太山(1,598m) 
登 行 方 法    ピストン     越後湯沢 → 旭原 → 弥助尾根 → 太源
太山
年      月   2002年4月20日 (土曜日)
天     候     晴れ南風強風
メ ン バ ー   古谷・高橋 2名

 4月19日(金曜日)夕刻6時深谷を車で出立、夜8時頃旭原太源太キャニオンの駐車場に到着。
旭原には青少年旅行村キャンプ場あり、駐車場の側にパン工房つきレストランがあり、庭に地下水が引いてあり水もある。駐車場に我々以外の車なし、駐車場の休憩所にテントを張って一夜の宿にした。

 翌早朝5時過ぎテントを撤収し登山口へ。
登山道は手元にあるガイドブックやマップによると、駐車場の手前、橋の数10メートル手前にある誘水側溝のあたりを太源太川の左岸に沿って入って行き、右岸に合流している弥助沢をやり過ごしたところで、右岸に渡渉することになっていた。しかしそこにはそれらしい道標はない。
 
現在はもっと手前村落の切れたところにあるY字を右手にとり舗装された林道を直進する。そのY字の所にしっかりした道標がある。道標には太源太山まで7kmとあり。
 
登山口の道標を見て舗装された林道に車を進め、テニスコートの間を抜け杉林を過ぎた所でストップ、その先は雪崩れ落ちた残雪が道路を埋め車を進める事が出来ず路肩に駐車して、5時35分にザックを背負った。
 
いきなりプラブーツでアスファルト道路を歩かされるはめになった。林道は一旦緩やかに登って行き、クロガネ沢の手前でUターンして下って行く。前方にこれから登る弥助尾根と太源太山の全容が見えるはずだが春霞の中なり。
 
林道は川に下ってから太源太橋を渡り大きく迂回して上って行っている。道標も何もないが橋を渡ってすぐに右手林の中を上って行くと、林道をショートカットして終点の広い駐車場に出ることが出来る。その林の中にはイワウチワが群生していて、さくら色の可憐な花が我々を迎えてくれていた。
 
林道終点通過6時15分、駐車したところから40分かかったことになるが、下山後の釣り場を下見したロスタイムを引くと旭原からの時間は約30分ぐらいか。林道終点からまだ1メートルはあろう残雪に埋れた杉林の中を、沢に沿ってゆっくりと上って行くと残雪が途切れ、登山径が姿を現し沢に下り立つ。ここもガイドマップでは渡渉とあったが滑り止めが付けられた丸木が渡してあり、少し傾いていていてスリルはあるが苦労な苦左岸に渡る事が出来た。

 左岸に渡ってすぐにシシゴヤノ頭方面への分岐点に出る。そこにはまだ新しい道標があり、径を右手にとればシシゴヤノ頭へ登って行く。道標には右、シシゴヤノ頭2.5km・蓬峠5km・清水峠6.3km 左 太源太山2.8km 清水峠4.3km   旭原へは0.8kmとあり。

 川に沿って左岸の雪にトレールを付けてしばらく行くと、残雪が崩壊を始めた小沢が右手から落ち込んでいるところに出た、これを渡らなければ前進出来ない、雪の上は当然ぐさっとゆきそうだ、だからと言ってその下部も今にも崩れ落ちてきそうでヤバイ、乾坤一擲、藪を漕いで沢に下り冷や汗を背に感じながら飛び石伝いに渡渉。
 
その沢を過ぎてしばらくは急斜面の残雪上をトラバース、ガイドマップで最後の渡渉ヶ所になっているところにでた。沢巾5〜6mか、ゴルジュ状のところにトラロープが2箇所渡してあり、いずれも膝下あたりまでの水深はある。渡渉は避けたい、運良く数10m上流に左岸壁から雪崩れ落ちた残雪でなんとか渡れそうなスノーブリッジが出来ていた。

渡沢無事完了、これから主稜線弥助尾根への約40分の急登が始まる。下降用なのか急峻なところにはトラロープのフイックスが張られていた。取りつきでは残雪が消えていたが、登るにつれ雪上を辿ることになる、稜線手前は急峻な雪壁でダブルアックスなら快適な登りなり。

 稜線は痩背尾根で我々を谷底に突き落とそうとするかの如く、いきなりバランスを崩しそうになるほど強い突風が吹きつけて来た。行く手に太源太山が姿を現し稜線の向こうにどっかりと腰を据えて待っている。雪崩
れ落ちそこねたスノーブロックを攀じり岩稜を辿り、最後の急登が始まる。稜線に出て約1時間半、ちょうど10時に頂上に立った。

 頂上は狭く10人とは立てない、誰があだ名したのか「上越のマッターホーン」とは良く名付けたものだ、ぐるりは斧で削り取ったがごとく切れ落ちている。展望もなかな良い山だがあいにくと平標山から仙ノ倉山、万太郎山、谷川岳へと続く南方面の山々は雨なのか、雨雲らしきものを被りその姿を見せてはくれていなかった。

しかし白毛門から朝日岳、檜倉山、柄沢山、巻機山に続く稜線はまだしっかりと雪を頂き、長々と寝そべって我々を招いていた。相棒は若かりしころテントを背に歩いた由、おれも何時の日か歩いて見たい。苗場山もまだ雪の世界だった。

 七つ小屋山への従走路は岩面に白ペンキで書かれたマーキングからおして、はるか下の岩稜に急峻な岩壁を下らねばならないようだった。10時半腰を上げ稜線に向け急降下、相変らず風は強く突風を気にしながらの下りとなる。

稜線と分れて急峻な雪壁に取りついたのが11時過ぎだった。渡渉点のある沢におりたのが12時ちょうど、心配したスノーブリッジはまだ健在で利用出来そうだ、スノーブリッジ無事通過、雪面をトラバースして登る時に頭を悩
ました崩れかかった残雪の小沢を渡り、シシゴヤノ頭との分岐点を12時40分に通過、丸木橋を渡り杉林を抜け林道終点到着13時ちょうど、無事登山完了といったところだ。

 途中オオイワカガミの写真を撮ったり、振返ってすっかり姿を現してくれている太源太山を眺め、車の所にもどったのが13時45分、パン工房まで行き工房の美味いコーヒーを味わってから、又朝車を置いたところまで戻り、今度はピッケルならぬつ
り竿を手に、太源太橋の所まで登ってから沢に下り、釣り糸をたれながら日暮れ近くまで太源太沢を遡行し太公望、型の良いイワナの食らいつく感触を楽しんでから帰路についた。

                        KKU AC OB T,TAKAHASHI


                                             早 春 の 西 黒 尾 根
日 時   2002年3月16日
場 所   谷川岳(標高1,963.2m)群馬県水上町
行 程   西黒尾根→谷川岳→天神尾根
天 候   風雨→みぞれ→吹雪→晴れ弱風
メンバー  深谷イワナ事古谷義雄、湘南山キチ爺 2名

 早朝2時埼玉県は深谷イワナ別宅を出発、快適な登行を約束してくれるように、空にはお星さまが瞬いている。谷川岳への登山口「登山指導センター」に5時過ぎ到着、谷川さんは久方ぶりの訪問、当分お伺いしなかった為かご機嫌はなはだうるわしくなく風雨でおで迎えなり。

 登山センターには2人組3パーテイーが出立準備中、我々が身支度をしている間に1パーテイーがセンターを出て行った。5時半前、入山届を投函しセンターを後にした。センターを出た時にはもうヘッドランプの必要がないほど明るくなっていたが、雨粒は多くないものの北風に乗ってほほ叩きに来る。

 一ノ倉への道路は雪で閉鎖されマチガ沢方面への道路はその姿をとどめず。センター奥ゲートの手前から左斜面に入る、雪に埋れた道路を2回横切る。ブナの樹林帯の中を古いトレールが何本か登って行っている、トレールの選択を誤っては深雪にはまり込み無駄な抵抗を強いられる。見通しのきかない風雨の中いきなりの苦闘だったが、目標の鉄塔(送電線)のある稜に6時に辿りついた。ここまで約30分の登りなり。

 雨はみぞれに代るも風の弱まる兆しなし。あるはずの先発したパーテイーの新しい\トレールは見当たらない。東尾根あたりにアタックかこの風雨での登攀は大変だ、人ことながら思いやられる。 それとも我々と同じコースを登って行ったのか、この風雨だから彼らのトレールはもう消滅してしまったのか。体感気温は厳冬期のように低くはないがみぞれは風雪に代り、ますます強くなり横殴りに吹き付ける。

 西黒尾根は山頂から東へ落ちて来ている尾根で雪庇は左側(西黒沢側)に出来る、ラクダノのコルあたりまではマチガ沢側の方が比較的に勾配は緩いが、西黒沢側は切れ込んでいる。風雪とガスで見難いトレールを忠実に辿るも、目の前に突然ホワイトケーキを割りかけたようなクラックが見えてくる、

春到来と共に雪庇の付根が重荷に耐えかねて引き剥がされようとしている、そのクラックを今日降った雪が隠すように乗っている、トレールがその雪庇の上に伸びて行っている、魔の口が潜んでいるので、御用心ごようじん!

登るに従いクラックは随所に現れ又大きく、不気味な口を開けて風の唸りがオイデ、オイデと言っているようだ、クラックと云うよりクレバースと言うべきか。雪庇の端はガスに溶け込んでいてどのくらい張り出しているのか全く見えない。
 
ブナ林帯が終り勾配が一段ときつくなる手前でクランポン装着。雪は止んだようだが風は相変らずガスを伴なって地吹雪を乗せて叩きつけてくる。胸をつく雪壁を攀り詰めると雪面から鎖の一部が顔をだしているところに出た、ラクダノコブに辿りついたようだ。

ラクダノコブを越え厳剛新道との合流地点ラクダノコルに、この辺りからのマチガ沢の眺めが良いのだが今日はガスのカーテンの向こうだ。
 
コルからきつい登りとなる、長い雪壁でも展望がきけば快適な登りなのだが、一寸先も見えないとはこの事か全く何も見えない、左手にはそちらにコースを取りたくなるような雪庇が続いている、(雪庇の上は通常左右の勾配はない、雪庇の上を避ける為には右手急斜面をトラバース気味に登る事になるから歩き辛い)一体いつまで続く
のか、ザンゲ岩に向けて長いながーい急登が続く。
 
高度約1,600m位の所で風を避けるに適した露岩があり、我々を途中で追い越した単独行者が一本立てていた。時計の針はちょうど9時、先ずは彼のお陰でラッセルアルバイトが回避できた感謝を、いや折角の雪山に来てラッセルの楽しみを奪われたのかも、それはラッセルの辛さを知らない者の言う事!

風は収まってきたがガスは一向に消えない、風がなくなりガスが流れないからこのままで視界がきかないのではつまらないから、頂上を諦めて踵を返そうかと相棒。しかし待つ事しばし、空が明るくなり、ガスの上にぼんやりと青空も見えてきた。頂上への稜線も見えて来た。振返ると白髪門や朝日岳も姿を現していた、もう少し待とう。
 
待つ事30分虹の笠をかぶった太陽も見え隠れするようになった。数人のパーテイーも登って来た。期待が持てそうだから登るだけ登ろう。尻の重たそうな相棒を促し、9時半腰を上げ前進。

10半頃ザンゲ岩を左に見て通過、しばらくして勾配が緩やかになりだした、肩の広場ももうすぐだ。肩の広場に上がると急に風が強まる。見え隠れする背の高い道標のポールを通過、

これから頂上までは雪庇が右手東側に張り出しているので要注意、雪面はクラストして心地よい。ガスの塊が猛スピードで流れる中頂上到着、10時50分。
 
途中天候の回復を待ち約30分岩陰で待機していたので、5時間弱で登ったことになる。ガイドマップのコースタイムは無雪季で4時間とあるから約1時間プラスか。
 
ガスがちぎれ飛んで行き、晴れて遠く榛名山、赤城山、白根山、上州武尊、至仏山や越後三山も見えてきた。眼下に肩の小屋も姿を現した。小屋は満員御礼、我々の入る余地なし、天神尾根から登って来た人々で小屋の中も外も賑やかなり。

晴れてきて苗場方面の山々も見渡せる。又天神尾根も天神平まで見渡せる、天神尾根コースには三々五々登って来る連なりも見える。登って来る連中の多彩な事、山スキーを履いて登って来る者、スノーボードを背にスノーシューを履いている者、ファンシースキーを担いでいる者、中でもスノーシューの連中が一番快適に登って来ていた。楽しみ方も色々あるものなり。

風を避けて腹ごしらえし11時15分、天神尾根を下る事にして腰を上げた。下るにつれそこはもう春山だ。スキーヤーやボーダー達が楽しそうにシュプールを描いて滑り下りて行く、我々はダンゴ屋になっての下降なり、クランポンは雪ダンゴ製造機と化し例によってテニスボールを履いてヨチヨチ歩き、全くさまにならない、スキーヤーが小憎らしくなってくる。

 天神平スキー場に辿りついて、一難去って又一難スキー場の端を膝まで雪に取られての下りの長い事、板を履いていれば1分とかからないのに、ゴンドラ乗り場はすぐそこなのに、しかしなんとか午後1時乗り場に到着。

下り1時間45分なり、クランポンを脱いでグリセードかシリセードで下れば所要時間は1時間足らずだったかも。
 一金壱千円を払ってゴンドラの客に、ラクチンラクチン、10分足らずで登山センターのある地上に到着。
                                    
                                      
                              2002、3、17作 KKU AC OB T,TAKAHASHI
                                      
  
                                      

                   秩父のお山にミニハイキング

日 時   2002年3月13日
場 所   高水三山(高水山標高759m・岩茸石山標高793.3m・惣岳山標
高759m)
      東京都青梅市御岳
行 程   JR青梅線軍畑駅→平溝→高水山→岩茸石山→惣岳山→御岳駅
天 候   快晴
メンバー  河太郎事河嶋喜由、高橋俊文 2名

 高水三山は行者修行の山であると共に、登山者にとっても秩父登山の入門コースとも言われている、修行の山だから三山をめぐるコースはいろいろあるようだ。

我々はJR青海線軍畑駅を起点にして三山を巡ることにした。軍畑駅を7時40分スタート駅前の小さな雑貨屋(もう店は開いていた)の前左手に平溝川に下る、川沿いの車道を左にとって道標に沿って高源寺方面に上って行く、この間約30分、車道は終り高源寺下から杉林の中を上って行く。登って行く事15分鞍部に出る、鞍部から約15分北小曾木方面との道標のある分岐点に出る。 分岐点からものの5分で高水山の手前にある常福寺に出る、ここでやっと展望が開ける。

寺の南側高台のあずま屋から御岳山のや御前山などが望める。高水山から一旦急下降してだらだらとのぼり岩茸石山に、その間樹々を通して名栗の谷間を越えて早春のたおやかな山々が重なりあって望める。

 岩茸石山到着9時半、山頂からは棒ノ折山や川乗山などの眺めが良い。途中マンサクの花が咲いていないかと山腹を見ながら歩いたが目に留まらなかった。しかし馬酔木だけが鈴蘭のような白い花をにぎあわせていた。

馬酔木(あせび・あしび)は石楠花科の常緑かん木、葉は有毒で馬に食べさせると酔っ払ってしまう事から付けられた木名とか、しかしどうこじつけて「あしび」とか「あせび」と読ませるのか。「マスイキ」とか「バスイボク」と読ませればいいものを、どう誤字つけたのか。

9時45分岩茸石山を後にして急下降、杉林の中を約30分歩き社のある惣岳山に到着、樹林帯の中で展望はない。惣岳山を10時25分通過、時折樹々の切れ間に御岳の家並みを眺めながら下ること約1時間、御岳に下り立ったのがの11時半だった。
 
下山後、地元の友人に案内してもらって御岳渓谷と吉野梅郷を楽しんだ、吉野の梅林は、花の種類が豊富だ、色も深紅からピンク、白と見るものの目を楽しませてくれた、9時までに入園すれば入園料の200円は不要とか、梅の時季秩父の山に入られる時は入山前に立寄られるのも一考かも。
                                      
 
                           2002、3、17作 KKU AC OB T,TAKAHASH

御正体山登行記録


場    所   御正体山(1,681.6m) 
登 行 方 法    ピストン     山伏峠 → 奥ノ岳 → 中ノ岳 → 小御正体 → 御正体山
年      月   2002年2月10日 (日曜日)
天     候     笹目雪のちらつく1日
メ ン バ ー   古谷・河嶋・新井・高橋 計4名

 数年前の積雪期一人訪ねて依頼の訪問だ。その時は御正体沢から入り、村落のはずれ支流の奥坂ノ沢で車を置き入山した。 深雪の林道を詰め道標に従い杉林の中、登山道らしき斜面を登り稜線に出たが、その間全くトレールなし、しかし登りは稜線に出さえすればなんとかなる。輪環ジキを着ける事もなく登り、稜線を左に取って急登し、雪面から屋根だけを僅かに出しそれと分かる祠のある頂上に着いた。
 
頂上で腹に餌を詰め込んでいる時、オバタリアン3人が山伏峠から登って来た。彼女達はピストンのつもりだったようだが、私のトレールがあるので白井平に下りる由、私もピストンのつもりだったが予定変更、山伏峠へ下ることにした。
 
山伏峠トンネル上辺りを過ぎてから北側斜面にルートを取った。トレールは高原ホテル側に下るべく先へ伸びていたが、高原ホテル側に下りると、白井平に行くにはトンネルを抜けねばならない為、あえて深雪の林の中急斜面を下ったが、雪だるまになっての下り、旧道の上に出たが足下は数メートルの要壁、ロープなしにとても下りれたものではない。木から木へ深雪を漕ぎながらトラバースし、倒木を見つけそれを
伝ってやっとの思いで旧道に下り立った。「急がば回れ」とは良く云ったものだ。

それから白井平まで道志街道を下ったが、その長いことながいこと、かっこ悪いが道路に雪がなくなってからプラブーツを脱ぎ肩にぶら下げて足袋裸足の道中なり。すいすい走っていく車の恨めしい事この上なし。

 その思い出の山御正体山行き。
早朝5時茅ヶ崎で相棒にピックアップしてもらい山伏峠へ。トンネルを潜って高原ホテル入口に7時前到着。7時10分車を後にしてホテル前の鳥居をくぐり登山径をじぐざぐに登る。約15分で大棚ノ頭方面との分岐に出る。

分岐までの径は地肌が出ているところもあり、分岐を過ぎると雪は多くなるもトレールはばっちりなり。
頂上まで大小合わせてピークは10を数えアップだらだら後ダウン、又アップだらだらダウンと云った道行きだ。小ピークを越えてから石割山への分岐までの登りは急で長い、分岐到着7時50分。石割山方面へのトレールなし。
 
奥ノ岳(1,371m)のピークをだらだらと超えて少し下り、特別デッカイ送電線の鉄塔(以前登った時は普通の鉄塔だった)下をくぐり緩やかに下って行く。 この辺りは両斜面が伐採されていて唯一の展望地だ、晴れていれば鉄塔のあるところからの富士の眺めは良い、しかしあいにくの細雪、視界悪く下界も墨色の世界なり。

一旦下ってから中ノ岳へ登り暫くだらだらと進み、少し下ってから登りになり、又少し下って鞍部を過ぎて小御正体をだらだらと通過、再度少し下ってから最後の急な長い登りとなる、まだかまだかといった長い登りだった。登りきり緩やかになったあたりで鹿留川方面から登って来るルートと合流するが、トレールもなく分岐点は分かり難い。似せ御正体といった感じの広いピークのルート右手に新しい祠があったが、多分その辺りではと思われる。
 
頂上到着10時半、登り3時間20分の行程だった。頂上の祠は屋根を残して雪の中だった。昨夜の天気予報では午後から回復するように云っていたが外れたようで、笹目雪は相変ら降り続いている。薄着してきたので、腹ごしらえしている間に汗が冷えてきた、ザックからダウンを取り出すのは面倒だ、10時半に頂上を後にし踵を返し、採って来たトレールを辿る。頂上にいる間に3人、大平村方面ルートから輪環ジ
キを履いて登って来た単独行者1人、下りで3人、の登山者に出会ったがあとは我々だけ、静かな山行きなり。
 
白井平側に下るルートもトレールはばっちりついていた。
 
ミニファイブを装着して登ったが気温が低く、今日降っている雪は浅く快適だったが、下る内に降り積もった雪奥の岳辺りからアイゼンがダンゴを生産しだし、ついにテニスボールを装着しての歩行となった。
 
鉄塔下12時10分通過、石割山分岐12時45分通過、高原ホテル入り口帰着13時15分、下り2時間5分の行程だった。
 
茅ヶ崎に帰宅したのは4時半過ぎだった。余談だが、本来なれば途中渋滞もなくすんなり帰れたはずだったけれど、高原ホテル入り口で雪にはまり込んで脱出に苦労しているノーマルタイヤの車を見るに見かねて、脱出を加勢していたら今度は目の前でドッカーン、別の車がトンネル出口の雪にタイヤを取られスリップ、擁壁に激突して半回転、フロントのみならずドアーもつぶれて中の2人が出て来ない。2人を引っ張
り出したり、動かなくなった車を移動させたり、とんだハプニングの帰路でした。
                           
                                            KKU AC OB       T、TAKAHASHI
                                      

 
久振りに金時山(1213m)へ登ってきました。12月は足元が相当ぬかるんでいた様ですが今日はそうでもありませんでした。
林道から登りましたので頂上まで50分です。
富士山が快晴でとってもきれいでした。 金時小屋の登山客は20数名です ちなみに登山回数最高が地元の田島さんで
1900回です。 今年は月に一度は山歩きを挑戦したい

                                                                梶川さん

北アルプス唐松岳に行って来ました。

11月22日〜24日

メンバーいつもの相棒深谷イワナ(古谷義雄)と2人。25日今日ともに野暮用多くレポート後日作成につき取りあえず山状報告のみします。

 近年毎冬八方には行っていますが、いつもアイゼンとピッケルならぬスキーとストックだけを連れて行っていましたがいずれ、いつかアイゼンとピッケルを連れて行こうと思っていました。

やっとチャンす到来。22日夜出発、ゴンドラ乗り場駐車場にて仮眠、始発8時のゴンドラに乗りアルペンペアー
リフトへ乗り継ぎ黒菱平到着8時半、第1ケルン到着9時、スキーゲレンデに雪なし。快晴無風、足元は白くも第2ケルンまでスッパツ不用。

第3ケルン辺りから要スッパッツ、下ノ樺辺りから吹き溜まりには膝上まで、先行者6人のラッセルのお陰でトレールあり輪じき不用。トレールは上の樺の稜線を辿らず夏径を扇雪渓下に出て、右手稜線に向け深雪を直上。
今年の短期間の積雪につき雪質層に差異なく雪崩れの危険はなさそう。

先行パーテイー大きなバケツを掘りながら30分から40分かけ稜線に脱出。12時、湘南山キチは手前の岳樺帯で設営。

24日5時半過ぎ出立、先行者が道普請で作ってくれたバケツのお陰で15分弱にて稜線に脱出。稜線にはまだ雪庇は形成されていなかった。6時半丸山にて浅間山頂に顔を出した御来光に登山の安全を祈願して牛首岳へ、夏径はすっかり深雪に隠されて辿れず岩稜を登る。

牛首岳に上がると北風強く唐松岳頂上も同様なり、牛首岳と唐松岳の間のコルに雪庇造成中、少し芽を出しかけていた。雪面は小春日よりの為アイスバーン化はしておらず、ピッケルアイゼンなくともOKな状態なり。

唐松頂上到着8時20分。快晴につき展望言うに及ばず。10分後頂上を後にした。扇雪渓テント着10時テント場出立11時、黒菱平に下山12時半。ゴンドラはっぽういけ到着13時。以上現況お知らせまで。

          KKYU AC OB  湘南山キチ爺ことT、TAKAHASHI
       

                                     石 老 山 散 策 紀 行

日 時   2001年11月11日
天 候   快 晴
場 所   神奈川県津久井郡相模湖町 石老山(標高694.3m)
メンバー  茅ヶ崎市民ハイキング約30名
行 程   石老山入口→頂上→ピクニックセンター

 「与瀬側の相模湖に立つ時、対岸にノコギリの刃のようにデコボコした山稜を仰ぐことができるが、これの最高峰が石老山であって、海抜694.3m。大して高い山ではないが、中腹に顕鏡寺と云う由緒のある古寺があるのと、山頂が相模湖の展望台としてすばらしいいので、休日にはハイカーで賑わいをみせている。」と神奈川県が
昭和29年発行した「丹沢山塊」の石老山の説明文の冒頭を飾っている。
 
中央線与瀬駅で下車しと、コース説明は始まるが、与瀬駅というのは現在の相模湖駅のことだ、我々一団は茅ヶ崎駅発7時47分の相模線の客となり八王子へ、八王子で中央線に乗り換えて相模湖駅(富士急相互乗り入れ秋季臨時電車で)に10時前到着。
 |
駅前から三ヶ木行きのバスに乗り石老山入口で下車、舗装道路を10分ばかり歩き関口に到着、そこで皆でラジオ体操をして10時20分出立。

左手にコンクリートで固められた側溝の流れに沿って15分も歩くと右手に石段がありそれを上がると顕鏡寺だ、我々一団は石段を上り顕鏡寺に入ったが、少々遠回りになるがそのまま側溝に沿って進み惣門址に出るコースもあるようで、そのコースを取れば鎌倉へ通じているといわれている「風穴」、昔敗軍の兵が隠れて敵を避けたという大穴がある岩や、上から石を落すとブンブン鳴るという「ブンブン岩」、又駒のひずめの跡があるという「駒立岩」等々数々の奇岩が並んでいるようです。
 
顕鏡寺は851年(仁寿元年)開創になる古寺で、「武庫郎」とかいう洛陽高家の宮人三条乗貴丞の若君が時の八条殿の姫君を恋したが、家格が違い成就できる姫君にあらず、こがるる思いやみがたく深夜馬を駆って都を離れ、当地にたどりつき世を忍んで仏門に入って道志法師となったその子「源海」が開祖といわれる。 しかしそんなお坊さんに子があったとは不可解なり、その頃のお坊さんは独身を通す時代では?
 
寺は石老山の中腹にあり静寂な樹林におおわれているが、由緒ある寺だから随分デッカイ寺だろうと想像していたが予想に反し以外と小じんまりしたたたずまいだった。寺の下部に広場があり展望が良い、津久井渓谷に臨む城山が際立って見える。
 
広場にあるトイレを使いゆっくり休憩をとって11時出立、次のトイレは箕石橋までなし。登山径は古い道標に従い鐘楼の手前左手に入っていく、左右から由緒?ある奇岩が迫ってくる坂径をじぐざぐに登って行く。弁慶が拳骨で空けたという穴のある「ゲンコツ岩」とか「天狗岩」「試し岩」とか誰が偏見と独断でこじつけたのか少々こっけいなり。
 それより見方をを変えてみたい。石老山はもともと海底か大河の河口付近にあったものが、丹沢山塊の造山運動で隆起し形成され現在に至っていて、しっかりと磨かれ丸くなった小石で構成された礫岩の塊だ。その礫岩が数々の奇岩を作りだし昔の人の想像を逞しくしたようだ。 
 
眼下に相模湖を見渡せる古いベンチのある融合平に11時ころ到着。15分ばかり湖を眺め登りにかかった。奥の院の小さな祠を過ぎると径は間もなくカヤトの稜線に出、木の間ごしながらおむすび型の小さな高尾山やその向こうに八王子方面のビル街などが見え、展望がいくらか開けてくる。

径は小さなアップダウンを2、3過ぎ、最後の急坂を登り切ると朽ちかけた古いベンチの点在する頂上部に出る。ちょうど12時ころランチタイムなり、既にベンチや日当たりの良い場所は先客に占領され我々の
店開き場所は頂上から離れたところのみ。カンビールで乾杯。
 
頂上南面だけは木立がなく道志の谷間の向こうに焼山辺りの裏丹沢のやまなみが、鉛色の稜線を段々とその姿を薄くしながら重なりあって見えた。又南西方向の木の間になんとか白くなっている富士も望まれた。
 
酒盛りタイム1時間、午後1時大明神展望台に向け腰を上げた。登路は針葉樹林帯で紅葉する木は少なかったが、下り径には落葉樹帯はあるもののしかしまだ紅葉には早くリンドウやノコンギク、イナカギク、アザミ類が咲いていた。径は登路より比較的に急坂でいくつかのアップダウン経て1時半過ぎ頃展望台に着く。

展望台は鉄製の手摺がつけられたテラスになっていて相模湖の全容が眼下に広がり、
その向こうに陣場山の山なみが長々と横たわっているのが望まれた。
 
展望台出立2時、針葉樹林帯の根っ子の露出した急坂を一気に下り、谷川の水音聞きながら下ると落ち葉の絨毯が敷き詰められた林道に出る、箕石橋だ、2時半到着、団体さん一行だから先導者としんがりさまの差は大きい。トイレでハトを撃ってしんがりさまの到着を待って、バンガロウの散在する林の中の林道からドライブ車の
往来する県道に出る。県道を下ること約20分ピクニックランド前バス停に到着、時は3時前なり。登山終了。
 
3時24分発の超満員バスで相模湖駅へ、相模湖畔道路は改修中で通行規制されていて相模湖駅到着4時、3時58分発の電車に間に合わずバスもそうだったが、ここでも次の列車を30分弱待たされた。茅ヶ崎に帰宅6時なり。
 雨上がりで径がぬかるんでいて、愛靴が泥まみれになるか滑って尻餅をお土産にしなければならないだろうと心配し、ミニフアイブを携行したが案に反し使用の要はなっかた。秋雨多き時季つかの間の好天に恵まれ山登りならぬ遊歩道散策が楽しめました。

                                 完

                          KKYU AC OB  湘南山キチ爺こと T、TAKAHASHI作
                   

                         九重山 (大船山(300名山)・久住山(100名山))


                                                                                                            2001年11月5−6日
天候: 第一日目 曇り時折小雨・第二日目 霧後晴れ

第一日目 (大船山・山頂気温5度前後)

別府駅前を朝7:20発の牧の戸峠行きの亀の井バスに乗車。乗客は私一人だけでほかには誰も乗ってこなかった。バスは飯田高原に入ると九重連山を正面に見て進み1時間弱で九重高原・長者原(ちょうじゃばる)のバス停に到着。
今宵の宿となる法華院温泉山荘に、2階が展望温泉となっているドライブ・インの公衆電話から出発確認を入れた後、平治号(ひじごう)と呼ばれる犬の像を右手に見て法華院温泉を目指す。

石段を登り、木道を通って湿原を横切り樹林帯の登山道に取り付く。雨ヶ池の峠越えの道は緩やかに落葉樹の間を右へと登っていく。紅葉もそろそろ終盤に差し掛かってきたようで落葉さかりである。1kmも歩くと九州自然歩道の説明板があるところにベンチが置かれている。

ここからは登山道は水量の乏しくなった沢沿いの石の多い道にと変わる。さらに二回の徒渉(ただし水はない)を終えると、黒土のぬかった滑りやすい道にと変わり、傾斜もきつくなる。雨ヶ池が近づくころ視界が開け、長者原が見渡せる展望所に出る。ここでほぼ法華院温泉までの道のりの半分(2.7km)。雨ヶ池は、水が干上がっていて池というよりは湿地と呼ぶのが妥当であり、敷設された木道を歩くくよりは黒土の上を歩いたほうが歩きやすい。

またこの周辺は登山道がはっきりしていないので、歩きやすそうなところを選って歩くことになる。雨ヶ池から坊ヶツルまでは灌木帯の緩やかな下りとなるが、足元が一段と悪くなった区間が、坊ヶツルに降り立ち法華院温泉の資材運搬用の大船林道と合わさるまで続く。

坊ヶツルはまさに、一面のススキノとなり広大なキツネ色の原となっていた。法華院温泉の標高は1303m。九州ではもっとも高いところに位置する温泉である。

リュックをサブ・ザックに持ち替え、軽装で大船山を目指す。元来た道を300mほど戻ったところから、大船(たいせん)山登山口という道標に従い、筑後川源流の小橋をわたり、坊ヶツル避難小屋の前を通る。山腹に取り付いてまもなく、大船山まで2kmという距離標識を見る。

登山道は右手に緩やかに登り始めて、20分もすると開けた草原に出るがこの付近から足元が悪くなり道が行く筋にも分かれるが、テープが下げられた歩きやすい場所を適当に歩けば問題ない。この付近から
アセビの灌木のトンネルとなり、登山道も傾斜を増し始める。

次に開けたところでは右手に立中山への道を分け、大船山の登山道は大きく左にカーブし、山腹を直登しはじめる。40分ほどで5合目となるが、ここには標識が2つ下がっている。5合目をすぎると、岩が露出した道になり再び右へとカーブして、もっともきつい登りとなり、段原(だんばる)を目指す。この付近からミヤマキリシマ
が目立つようになる。

上りついた段原は火口壁の外縁にあたるところで平治山の鞍部にかけて開けた場所で、平治山や黒岳への分岐となっている。さらに右手に行くと、大船避難小屋の標識があり、小屋までは1分の道のり。

吹きさらしのコンクリートブロックを積み上げた小屋には、残念ながらゴミが累積されていた。本道に戻り平坦な道を少し行くと、最後の急登が待ち構える。岩の間を登ること15分で、ようやく山頂に立つ。この日は低気圧が接近していたこともあり、山頂は一面霧の世界であった。若干風が強く、昼食もそこそこに熱い温泉の待つ法華院山荘へと往路を忠実に下山。

大船山のコースタイムはほとんど空身で地図通りだったので、余分に見ておかれたほうがよいでしょう。

法華院山荘はもともと山岳信仰の修行場であり、十一面観音が祀られている。温泉は単純硫黄泉でややぬるめだが、湯治にはもってこいである。午後から朝7時まで終日入浴可能なのが嬉しい。一泊二食で7500円。その他11月より暖房費として300円。(外来者の入湯料は300円)夕食は6時・朝食は7時から。頼めばお弁当も作って
もらえる。

昼食やアルコールなども販売している。(アルコールは炊事場を通り、橋をわたった管理棟で販売されているが、この場所を勘違いし坊ヶツルを酒屋を探して歩いておられた方がいた。)この日の宿泊者は6組16人とあって、一人で個室をあてていただいた。登山バッジはなんと800円!

コース・タイム:長者原(55分)雨ヶ池(25分)法華院温泉(1時間5分)段原(25分)大船山大船山(15分)段原(45分)法華院温泉

第二日目 (久住山・山頂体感気温 氷点下10度以下)

夜半雨は強く振り続け、明け方にようやく上がったが朝食後直ちに久住山を目指し、赤川温泉南登山口に下山する予定で法華院温泉から白谷沿いの道を経由して、星置山の分岐を目指す。入り口に「足場が悪いので注意」、という標識が出ているが、雨ヶ池越えや大船山の道よりは足元は悪くない。

登山道は法華院のバンガローやキャンプ場を抜けた後に灌木帯を直登し始めるが、きつい登りは長くは続ず、登山道は沢を目指して左にトラバースし一度はゆるやかになる。沢沿いの道は水量の乏しくなったところから、再び傾斜を増すが、風の通り道なので夏は快適な登山が楽しめるだろう。

涸沢となった地点からは、沢の中の黄色のペンキに導かれて登ること30分で、分岐のある東千里ヶ浜の入り口に到着する。天候は確実に回復へと向かっていたが、風は一段と強り、視界は霧でさえぎられほとんどきかなくなった。東千里ヶ浜を横断し、久住山の登りへかかったが周囲の草は霧氷がびっしりとはりついていた。

山頂付近の風速は秒速30mくらいではなかったか思われた。山頂の一角ははなだらかになってはいるが、前進が非常に困難であった。山頂標識は確認できたが、赤川下山口の分岐が確認できない。地図と磁石をザックから出す余裕もなかった。もちろん他の登山者はいない。

迷うことなく直ちに、坊ヶツルへ元来た道を引き返すことを決断。慎重に東千里ヶ浜の下山道を確認して、分岐まで戻ると一息つけた。10数年前初めて久住・中岳に牧の戸峠から登ったときは同じ11月初頭の快晴の日であったため、今回南国九州の1800m級の山岳でこのような厳しい状況に遭遇するとは予期し得なかった。

坊ヶツルから先も、第一日目の雨ヶ池越えの道を忠実にたどり、長者原のバス停へと戻った。ドライブ・インの展望温泉は入湯料300円。下山後2階の浴槽より眺めたときは晴れ上がり、久しぶりの三俣(みまた)山と噴煙を上げる星生
(ほっしょう)山は目を熱くした。

コース・タイム:法華院温泉(1時間15分)東千里ヶ浜入り口分岐(25分)久住山久住山(20分)東千里ヶ浜入り口分岐(45分)法華院温泉(30分)雨ヶ池(45分)長者原

番外・鶴見岳(300名山)

今回は別府に宿泊する日に、到着が遅くなった関係から、郊外の鶴見岳へは観光客に混じってロープウェイでの登山となった。ロープウェイを下車するともう山頂の一角で、労することなく山頂に立てる。山頂は公園となっており、レストハウスもあり、七福神めぐりができる。

ここには一気登山道と名づけられた道が別府市内から整備されている。(実際はロープウェイの登山口の横から登山道となっており、そこまでは車道を利用する。)徒歩での登山は、駅前から由布院方面のバス
に乗り、ロープウェイ登山口の2つ先の「鳥居」下車が便利。ロープウェイの運転は9:00−17:00.料金は片道700円、往復割引なし。

コース・タイム:ロープウェイ山麓駅(ロープウェイ8分)ロープウェイ頂上駅(5分)鶴見岳山頂

総じて今回は登山ではなく、湯治のための旅行になってしまいました。なお法華院温泉には、坊ヶツル讃歌の歌詞が掲示されていますが、9番で終わりではなく、10番まであるそうです。最後にその部分を掲げておきます。

坊ヶツル讃歌 (作:梅木春徳・松本征夫・草野一人)

十  千里ヶ浜に霧かけて    スガモリ小屋に夜が来る
    灯しびわびし 山男     明日は下山か人恋し

                                                     江東区  中野 


                                                 五丈岩の初舞台

日 時   2001年10月20日
場 所   山梨県甲府市 金峰山(標高2,599m)
                 大弛峠(標高2,360m)
                 朝日岳(標高2,579m)
                 鉄 山(標高2,531m)
メンバー  古谷氏夫婦   高橋  3名
行 程   大弛峠からピストン

 40数年前、四捨五入すれば50年前の3月、後立山合宿の帰路一人金峰山に足を踏み入れるべく中央線韮崎駅に降り立った。
古い思い出で詳細は記憶の外になっているが、増富からガスの中を微かにそれと分かるトレールを辿り、吹雪にほほを叩かれ、雪に隠された這い松に足を取られながら五丈岩らしき岩の下に辿りついたが、岩の全容は見えず山頂の標識らしきものは見あたらなかったけれど、頂上に登ったものと思い込み、まだ日の暮れるのが早い時期だったし、天候が回復する見込みはない、次回を期して早々に踵を返した。
 
情けない話だけれど後日改めて地図を見、又近辺の山などから眺め頂上が五丈岩の東に位置することを知った。それから50年の間何事かが邪魔をし、いつも車窓から眺めるだけで足を向けることはなかった。
 
相棒と急に金峰山行きの話がまとまり、再度挑戦今度は五丈岩の舞台に立ちアルペン踊りをやろう。
最初に登った当時はまだ峰越林道はなく、たとえ有ったとしても冬季で駄目、ましてや学生の身分で車などない、しかし現在は違う。
 
今回は秋晴れが保証されている、星空のもと早朝5時前茅ヶ崎をあとにし中央高速を勝沼へ、140号線牧丘トンネルで7時過ぎに相棒と合流、柳平までアベックで走、そこで爺の車は留守番させ相棒のRV車に同上。
 
途中道路工事中の未舗装部は凍結、セダンならご用心ご用心。紅葉を始めた落葉松の樹間に五丈岩もばっちり見えてくる。7時半過ぎ大弛峠近くまで着たが既に路肩駐車の列が出来ており、峠まで行くことあたわず。列の蕨に車を留め、約10分程度各地のナンバープレートを見ながら峠に、峠出立8時半過ぎ。樹林帯を抜けて朝日岳への登りの途中にある展望の良い岩上に出る、広い場所だけれど展望がよいので混雑していた。ここから眺める富士はもっともシンメトリーだ。頂部の突起が3つ、真中が剣ヶ峰か。
 
朝日岳からガラ場を一旦急下降する。このコース中で一番きついところだ。ガラ場を下ってから又樹林帯を暫く行くと金峰山の東肩に出る,ここから頂上は目の前で展望が良くなる。 小川山の数々の岩峰ゲレンデが手に取るように見える。夏には咲き乱れるだろう花々はもう冬の眠りについていた。春先再度おでんと酒を担いで石楠花
見に来よう。

頂上到着10時半ちょうど、2時間弱の行程なり。ザックを置いて早速五丈岩へ。
岩の北面下にある鳥居を潜り、壁北面左縁りの岩をバンド下まで上がる、岩の南面、裏側がチムニー状になっていてそれが小窓になり北面に貫通しているので、甲府盆地を覗きながら腕力でせり上がり、バンドの取りつき点の小さなテラスに立つ。

そこからチムニークライム出来そうだがラストの処理が不可能だ。アンダーハンドを使いながら身をよじってバンド上に立つ、バンドは外向きに勾配がついており、壁は胸を押し出し気味にハングっている、頭上にはスモールエッジもない、アンダーハンドとブッシュ(藪と言う意味にあらずフリークライミングテクニッ
ク用語です)で右にトラバース。
 
カンテに辿りついてクラックに右手をジャム(岩の割れ目に手を入れその摩擦力を利用しバランスなどをとるテクニック)し、左手岩上に2ヶ所に人為的に作られているスモールエッジの一つにフインガータッチ、(五丈岩には前記のスモールエッジ以外にピトンや鎖等人為的なものは全く無し)しかしちびは憐れなり、もう10cm背が高いと楽勝なのにつま先立ってやっとだ、せり上がれない事はないけれど、下る時にどうするの、の念が頭をよぎる。フラットシュウーズ(ロッククライミング用ズック靴)なら右の岩をけり込みフリクションを効かせれば難なく上がれ云うことはないけれど、そんな事になるとは思っても見なかったのでザックの中にはない。
 
湘南山キチ爺が今1歩のところで50年の夢を捨てるのか。自分のフインガーパワーと軽登山靴のフリクションを信じてせり上がった。「やったでベイビイー」振り返ったらギャラリーの多い事多いこと、百やニ百人は下らない、いやもっと多いのかも、頂上から岩元まで人々々…… 爺のもたつき振りを見物して楽しんでいる。
相棒に写真を撮ってくれるよう手を振ってみたものの何処にいるのか分からない。アルペン踊りなんぞ出来やーしない。
 
頂上からよりも岩上の方が展望は断然良い。甲武信岳山群の向こうに谷川連峰らしき姿も望まれた。北アは八ヶ連峰の屏ぶに妨げられ見えず。長々と横たわる南ア連山にまだ白い物はない。
 
岩上は3畳くらいの広さがあり、東端部面に30cmくらいのと20cmくらいの2つのお釜があり、水を溜めていた。学名でなんと言うのかは知らないけれど。水流により河床の岩に出来たものはよく見られる現象だが風のいたずらは珍しい。花崗岩を石ころがボーリングした穴は稀少な自然現象だ。
 
西側の眼下に金峰小屋の青い屋根が見える。タバコがうまい。暫く展望を楽しみ一服して岩上を後に攀じって来たルートを忠実に下る。攀じる時に気にしたほど下降にはてこずらず地上に降り立った。高差約20m足らずの岩壁だったが、久し振りに結構色んなテクニックを駆使出来て面白かった。

ギャラリー達口々にいわく、「お兄さんかと思った」だと。まだお兄さんでーす。 頂上の標識は庭岩の置き場のような所にあり、足場が悪く記念写真撮りの人でごったがえしアングル選択の余地なし。
 
腹ごしらえしようとてザックを開いたら、なんちゅうこちゃ、コンビニで買ってきたお稲荷さんは愛車と一緒に柳平でお留守番なり、相棒の奥さん手作りのおむすびを頂戴した、留守番は正解なり。
 
頂上で1時間半ばかり遊び12時前下山にかかった。下る内になんとなく相棒が奥さんをほって放って飛ばし出し、爺と競争するようになりノンストップで駆け下り。峠に降り立ったのが1時過ぎ、相棒は1時前に峠に、所要時間は1時間を切ったようだ。この春には一時もう駄目かと思った膝痛もなんとか復旧したようだから、まだま
だ望みには適えそうだ。
 
峠からの道路は上がって来る時よりもさらに駐車している車が増え、最後の車から峠まで30分は歩かされそうに並んでいた。柳平下に金泉湯という温泉があったがダム湖に水没する予定のため3年前に閉鎖、残念なり。
 
帰りはハンドルを握らねばならないので、相棒とアルコール類で乾杯と云う訳にはゆかない。牧丘町にある牧の湯でワイン風呂に浸って我慢した。高速道路の渋滞を避け一般道を走って8時過ぎ無事帰宅。
                                 
行程時間記録
10/20    出  発                 到  着
    茅ヶ崎  5:00   中央高速経由  牧 丘  7:00 合流
                   柚口林道経由  柳 平       マイカー駐車
                  峰越林道経由  大弛峠   8:10 車駐車
 
    大弛峠   8:35                   朝日峠  8:30
                                朝日岳  9:00
                                金峰山  10:30 
    金峰山 11:50                    大弛峠  13:05
    大弛峠 14:00   峰越林道経由  牧の湯   15:30 入浴
    金峰泉 16:40   20号線経由   茅ヶ崎    20:10
                                    
                                                         完
                          KKYU AC OB    湘南山キチ爺 作

                          

                錫ケ岳 U

                   2001年10月20日  無所属  猿田正志  単独

日曜日は予定が入っているので仕上げは11月の連休にして、今回は偵察と若干の踏み跡はあるだろうが、ルートハンデイングもせねばならない、だろうと入ったのであるが、結果は、な、な、何と林道終点からは、白錫尾根と見間違ごうくらいの、目印とプレートの数々で、帰路のヘッドランプ山行を覚悟すれば、日帰り登頂も可能である。

本日は登頂出来なかったが、錫ケ岳への別ルートを、という目的は達せられたものとして、また、最後に記すけれども、どーもこのルートは自分に相性が良くなく、これにてここは打ち止めとしたい。

赤沼駐車場で仮眠したけれども、トラベルウオッチの故障で5:30のバスを逃し、6:30の小田代止まりで、1時間半の損をする。4:30のに乗れば、2時間半のロス。

結果、これが登頂できなかった大きな原因だったが、それを知るのは後のこと。

あざみ橋から続く西ノ湖分岐までは良い道だったが、それを過ぎると序々に廃道の度を強め、特に柳沢川渡渉点を過ぎると極端に悪く、石ころだらけ、側壁崩壊、道流失、まあ、廃道として打ち捨てられてから何十年も経つのだから、当然のことであろう。

探せば道は見つかるものを、おせっかいに赤布を付けつつ行く。等高線に沿って高度の上がらぬ道をうんざりした頃終点に着く。なかなかの眺めの良いところで、柳沢川右俣のすだれの滝がくっきりと望見できて、遠くから見るとなかなかにヤバそう。

目を尾根に転じると、ルートくっきり、プレートも見える範囲で打ってあり、世の中篤志家はいるものだと感心する

今日は尾根撤退に備えて左俣沢の様子をうかがい、下降しようと登攀道具全装備を持ってきたが、そっくり置いて尾根に向かう。

登り5時間、下り3時間と目安をつけ、残りタイム1時間35分で最終バスに間に合う為には、12時30分下山開始になる。

ノコギリで時間のかからぬ程度のだけ手をつけ切っていくと、案外にあっけなく宿堂坊からの稜線と合流し、「これならやっちゃうか」、と飛ばし始めるが、しばらくして過去の苦い体験を思い出し、自重しろと、自分に言い聞かせてほぼ時間のきたところで、目じるしに赤布を2本繋げて付けてくる。

ここは錫ケ岳から続く2つめのコブ下、高度差で50m程のところだ。ここからなら2時間程度で行くのではないだろうか。分岐点は往路を行過ぎてから気が付いたので、赤布を付けず、案の定プレートに導かれて2077mのピークに登りかけ気が付いたが、山頂まで行ってみる。見晴らしのよいところだ。

もしアタックしていたら、時間に追われてあせり、ここを行き過ぎ、何処で気が付くかは解らないが、寝袋を持たないこの山行、この夜の冷え込み、ウーン哀れ・・・、の可能性は絶無ではあるまい。過去に致命的に近い失敗数々あれど、土壇場で回避してきたので今が有る。やはりあの軽量シュラフを買わないわけには行くまい。

脳細胞の減少による要領の悪さで、普通の道なら登り下り5:3で充分だが、このだらだら道を計算に入れ忘れ、思いの外に時間が過ぎていき、慌ててスピードアップするが、この悪路で何十回となく足首を捻り、その都度うまく体重を逃がして、捻挫もせず飛ばしに飛ばして、渡渉点に着く。

ここで30分を切っていたら、バスはあきらめようと考えていたのに、切らなかったものだから、またまた飛ばして最後は駆け足でやっと時間丁度に着いた。

にもかかわらず、着替えが終わってもバスは来ず。要領の悪さで、国道の道路状態に思いが浮かばず、大渋滞はバスを50分遅らせていた。

 追記  

下りの途中でのこと、手で払っても、少し除けても避けることは出来たのに、飛び出している細い枝を折ろうとしたばかりに、以外にしなる枝はかなりの勢いで折れて弾け、砕片が目に当たった。その瞬間木に復讐されたことを実感した。

少しは痛んで、涙は翌日も時折続いたが、ただの打撲と高をくくっていたら、目でもあり念のために眼科に行くと、極く小さなものだけれども、瞳に2ケ所刺さっているものが有ると言われ、深く刺さっている為、瞳を少し削って取り除いたとのことで、事故は何処ででも、何気ないようなことでも起こりうるものだとの感を深くした次第である。

 コース参考タイム  あざみ橋7:35   渡渉点8:15   林道終点10:55   

  稜線12:05   2090m地点12:25 渡渉点15:15   あざみ橋15:40  

バリエーションルートからの錫ケ岳

20001年9月23日〜24日 無所属  猿田正志  単独

 23日

赤沼駐車場から千手ケ浜行きハイブリッドバスに乗るべく、菖蒲が浜バス停を通過したとき、服部夫妻を見つけ急停車して走り戻って呼びかけたが、気ずかずに後続のバスに乗り込んでしまった。

ツメタ沢沿いの林道入り口は「からさわ橋」で、今は工事の看板が立っている。停留場ではないので念のため。工事現場を過ぎると道は極端に悪くなって、崩れたりしたところもあるが、さしたる支障はない。

二段の堰堤下で道は終わル。この上で装備を整えると良い。
早朝バスできて、軽装備なら日帰りも可能だが、赤沼行きの最終に間に合うかどうか。

この沢は始めから終わりまで一部を除いて側壁からの落石の危険があり、軟・・・いや慎重派にはあまりお勧めできない。

大岩のゴーロをしばらく進むと最初の二俣で水量1;3、左に入る。右には地図にも載っている大滝が有る。フリクションの利く滑床も出てきて、たんたんと進むと次の二俣で、これも左に入り、ここからは上部の水場までほぼ完全に伏流する。水線から渕に上がる時、また降りる時、緩んだ土砂が一抱えも石をまじえて崩れるのも、一再ならず有り。これに足を挟まれたらことだなーなどと考える。

足元に目をやり側壁に目をやりながら二俣状のところに着き、真中の丘状の;ところを進む。この沢随一の安全地帯である。左岸の林との境を水が流れているが、あまり飲む気分にならない。自然にゴーロの中に戻り、見上げる上部は傾斜が増して源頭の様相を呈しているけれども、これは沢がくの字に屈曲しているためで、その上は一段と傾斜を増す。

程なく出てきた水場はチョロチョロ程度ではあるが、腹が痛くなることもなかったから、充分飲用にたえるけれど、サッサと汲んでいかないと小生の時もすぐ下部で崩落した。

枝尾根のラインが左に見えてきったら、左の鈴竹のヤブに逃げ込んだほうが良いとも思うが、繁茂期は少々歩きにくいので沢の末端をいったほうが良いのかもしれない。枝尾根から右上すると白錫尾根の白桧山寄りの最低鞍部に着く。

この稜線はいろいろなパーテイのペナントが立ち木の前後に打ち付けてあるし、倒木等により迷いそうな所には、赤布をつけてきた。

踏み跡のはっきりしないところもあるが、鈴竹の原、原生林と、口笛もでる気持ちの良いプロムナードだ。最低鞍部には水場の表示があって「一分」とかかれていた。5リットル担いできた小生はガックリした。

最後の登りをこなして頂上。三回目にして、且つ、大雨の影響もあって、四ヶ月目に頂上に立った。樹林帯なので眺望はあまり良くないが、日光方面はくまなく望見できる。

地面は少なく、1人用テントが張れる程度だが、そこに割れたワインのビンが半分埋まっていた。「まったくー」と言いながら斜面に放り投げたが、新聞紙に包んで持ち帰ればよかったと反省。

いつもの酒が切れて、途中で買った純米玉乃光300ccパックは不味くてもてあました。

 24日

こちらから見る白根山は荒々しく、朝日はその左肩から昇ったが、雲一つない太陽だったのに、柏手を打つのを忘れた。雲といえば、小田代が原上空低く雲か靄が浮かんでいる。

帰路は、昨日出発が遅れて泊まりになったため、往路を戻る以外にないが、心配した浮石だらけの上部は側壁から流れ込んだ大量の土砂が石同士を固定させていたので、前回のように、「オットット・・・」などとならなくて済むだろう。

そんなこんなで、今回の山行は終わった。来月の連休はもっと楽に錫ケ岳に立てるルートを探りにゆく予定。

参考タイム  からさわ橋8:30 堰堤上9:30 第2分岐10:15 水場11:20

 

                                                     塩見岳登行記録

場  所  静岡県と長野県の県境   長野県下伊那群大鹿村
年  月  2001年9月21〜24日
登行方法  大鹿村→鳥倉林道→造林小屋跡(1、640m)→天窓橋(屏風岩が見える)→(2、230m)→豊口山分
        岐(2、500m)→三伏峠小屋(1、615m)泊→本谷山(2、657.9m)→2、512m→塩見小屋(2、766        m)→塩見岳(3、046.9m) ピストン
メンバー  古谷義雄  北原昌昭   高橋俊文  
  
 小雨の降る中午後8時前、40Lザックを背に石和温泉駅前に下り立った。温泉街の駅にザック姿は様にならないが、集合場所としたのでやむおえない。 3人そろったところで温泉を後にして中央高速を一路伊那谷にる。、
 松川インターを出て大鹿村の家並を過ぎ鳥倉林道へ入る。小雨混じりの深い霧の中を途中、登山口方向への道をはずれ鳥倉山へのコースをとる。深夜0時小雨の降中鳥ヶ池キャンプ場に着いた。

テント20張程度が限界の小さなキャンプ場だが、一応水道付き炊事場と釜戸があり食事場が屋根付きで設置されていた。勿論ティッシュ付きトイレもあるが照明はない。管理小屋があるも我々以外に人影なし。時折闇の中から鹿の鳴く声が聞こえてくるのみ。
 
一寝入りした頃でまだ寝が足らない時間なのにテントの外が明るくなってきた、時計の針はまだ2時だ。新潟からの7人パーテイーの来客なり、同じ事を考える人がいるものだ。
 
翌朝7時過ぎテントをたたんでキャンプ場を出て鳥倉林道へ戻り造林小屋跡駐車場
に、駐車場はもう満車状態(約20台)だったが辛うじて駐車した。
 8時過ぎ車をあとにゲートの横からアスファルト舗装された林道を歩く事35分、舗装の切れるところの広場に出る、登山口なり。

 9時前入山届を書き樹林の中を上って行く。比較的上りやすい登山道だ。約1時間で豊口山の稜線鞍部に出て、径は三伏峠から派生し2、248mピークを経て、豊口山に下る稜線の北斜面の樹林を巻くようにして上って行く。30分も歩くと水場があり、水切れの時は一息いれると良い。
歴史に残る三伏峠道、塩川から上って来ている径との合流点(豊口山分岐点)に出れば、もう三伏峠小屋は目の前だ。
 
峠到着11時半、小屋前のベンチでは先行者達がお昼の店開き中なり。天気は上々塩見小屋が開いていれば足を伸ばしたい時間だが小屋はもうクローズ、腹ごしらえし塩見岳展望の地烏帽子岳にお散歩。三伏小屋へ下る径から右に取りお花畑の中を抜けて稜線伝いに上って行く、小屋から頂上まで約40分だ。種子をつたけコバイケイソウやリンドウなどはもう既に枯れ始めており、マツムシソウだけが我が世の秋とばかりに残り少ない秋を謳歌していた。

山頂は烏帽子の名に似つかわしくなく広い。 塩見岳は目の前に全姿を見せ、頂上への岩稜が手に取るように見える。羽根があれば一ッ飛びだ。東には西俣谷から湧き上がって来る雲に見え隠れする富士山が冠雪し、冬到来を告げていた。
 
小屋の朝飯は普通だけれど、宿泊料は北アの小屋より安く1泊2食で7,500円なり、しかし夕食はいただけない。南瓜コロッケカレーとパイナップル2切れ、少しのサラダのみ。シーズンオフにツアーの団体さんが入ったせいか? 団体さんは早朝3時過ぎ塩見に出発につき、小屋では夕食のみ朝食は取らず弁当だったようだからと
嫌な想像をしてみたくなった。

余分な事だが小屋にいわゆる洗面所はない、トイレは外で洗面所はついていない。屋内に自炊場はないから雨降りの日は面倒だ。一方塩見にピストンして下山する場合は朝食が5時前と云うのはありがたい。
尚今季の小屋は23日でクローズなり。
 
日暮れと共に気温が下がり2.6℃、頭上から満天の星が降ってくる、眼下に伊那谷の明りがダイヤモンドをちりばめたように瞬いて見える。天気予報通り明日は快晴が保証されそうだ。
 
ガイドマップによると往復に8時間弱かかるようだ、天候も安定しているようだから今日の日に下山を目標にジープよろしくとばすことにし、装備を最小限にしぼりザックを出来るだけ軽くして5時過ぎ出立した。余分な荷物は預かり料200円払って小屋に預けた。水溜りには氷が張り15cmくらいの霜柱が立ていたから夜はマイ
ナスになっていたようだ。

 冬季小屋の側を過ぎ三伏小屋への径と別れ左手三伏山経由のコースをとる。三伏山山頂には約10分程度で上がった。ここも展望が良い、伊那谷や塩見岳への走路がよくわかる。

 冬季小屋は比較的大きく4、50人はゆうに利用できそうだ。
 
三伏山から緩やかな下りとなり、上りに転じてからすぐ三伏小屋経由のコースと合流して本谷山に上って行く。
本谷山到着6時過ぎ、ここも展望が良い。本谷山から塩見小屋までは地図でもわかるように大きなアップダウンがなく、樹林帯の日影の中を上って行くので汗をかかずに快適にとばせる。五右衛門山は南面をトラバースぎみに上って行き稜線の鞍部で塩見新道と合流する。

 合流してすぐ左下に布団で屋根を作った小さな小屋がある、小屋仕舞い準備中の塩見小屋だ。もう樹林限界を過ぎ這松帯となり視界が開ける、天狗岩南側を越えコルに下りて岩場の急登になる。塩見岳唯一の岩場の登りだ。
鎖も鉄梯子もないがその必要性もない岩場だ。コル付近の比較的安定した棚は無人ザック無料一時預かり所が店を並べていた。中古ザックの展示場と云った方が的をえているかも。30分足らずで三角点のある西峰にでる。
 
西峰は3時過ぎに先発したツアーパーテイーで占領されていて我々の憩う場所なし、やむおえず東峰に歩を進めた。西峰と東峰の高低さはほとんどなく距離も2〜30m、標高は東峰の方が1〜2m高いようだ。両峰共目だった標識はない。 東峰到着7時半、三伏峠から3時間15分の行程なり。

 1点の雲もなく、風もない無風状態だ。何処までも続くすき透る空のもと雲と云うものがある事を忘れさせる快晴なり。見えた山を列挙するより、手っ取り早く云うなれば日本列島の山で見えない山は山ではない、と云った方が適確なり。
 富士山だけが冠雪し、くらげが足を裾に向け流しているように化粧していたが、一跨ぎで行けそうな南アの仲間達や北アは後立山から槍穂乗鞍まで、又その後に頭を覗かせている立山や笠ヶ岳にはまだ白帽子は被っていない、勿論中アも御岳も黒々とした恵那山や農郷の山々にも。

 南アの仲間の兎岳と笊ヶ岳が荒川岳、赤石岳、聖岳を挟んで二つの耳を立てて見え印象的なり。西兎岳と東兎岳とかってに山名変更。農鳥岳、間ノ岳でかい図体の北岳、その左にユニークな白い甲斐駒が座り北沢峠から仙丈岳へと稜線を上げていた。

 東には鈍く光る海を挟んで天城の山波、伊豆の大島らしい島。富士の左には奥秩父から谷川か浅間か、八つ頚城の山々。明日も快晴が保証されそうだからこのまま頂上でビバーク出来たら天国なり。 西峰の占領者団体さんの姿が消えたので、9時過ぎ後ろ髪を引かれる思いで腰を上げ下山にかかった。西峰にはなぜか珍しく三角点の基石が約2m離して2基あった。

 スローペースの団体さんに径を譲ってもらい塩見小屋に駆け下り振り返って塩見の姿を瞼に焼き付け本谷山に歩を進めた。 本谷山で伊那谷を眺め三伏峠へ、三伏峠到着12時前。下り約2時間強。
腹にエネルギー源を補給し12半過ぎ帰路に着く。登山口着ジャスト14時なり、これから駐車までアスファルト路、さすがに膝が痛くなってきた。

毎度の事だが無事下山したと云う安心感も手伝ってか、舗装道路を歩かされるのは辛い。谷を挟んで駐車している車が見える。パラグライダーがあれば飛んで行けるのに(パラグライダーなんか出来ないくせに馬鹿言っちゃーいかんぜ)、足を留めたら最後もう歩けない、歩かないと温泉と冷たいビールにありつけない。心を鬼にしてやっと駐車場に辿りついた。駐車場到着14時35分峠から約2時間なり。登山完了
 
大鹿村には10数軒宿があるが連休だけに結構ふさがっていた、道の駅で宿を予約し一風呂浴びて鹿刺にビールで乾杯。 翌早朝食事前釣り糸を垂れに小渋川支流に入り、イワナ釣りして遊び152号線を戸台に向け帰路についた。イワナは可愛いのばかりでキャッチアンドリリース。
 
戸台から入笠山を越え富士見に出て小淵沢から中央高速に乗った。入笠牧場からの北アの眺めも一味あり、山の登山口駐車場は満車なり。2軒ある山小屋の1軒はもう閉めていた。
 14時半石和温泉駅前でメンバー解散JRの客となり18時帰宅。        
                                                   完                   
                        KKU AC OB T,TAKAHASI

40数年振りに高ボッチ・鉢伏山に登って来ました (8月27日)


その時は塩尻峠から雪を踏んで登り、丸1日掛け扉鉱泉に下りた時には夕闇に包まれていました。
3月頃でしたから冠雪したアルプス等360度の展望を楽しみました。

今回は高ボッチの頂上に駐車場から5分・鉢伏山は駐車場から往復20分でした。天候は時折雲の切れ間から青空が覗く高曇り、ガスもかかり松本盆地と諏訪湖の眺めのみ

高ボッチのヤナギランはもう終わり実生をつけていました。鉢伏山のマツムシソウは最盛期で登山口の小屋が見えるころから林道の両脇の土手を花で埋めてくれていました。登山口の駐車場から鞍部に上がる辺りにも咲いてくれていましたが、頂上の草原には有りませんでした。

草原の一番高い所にニ等三角点があり、東に少し下ったところ展望台があります。草原にはマツムシソウに代ってウメバチソウが可憐な花を沢山咲かせていました。駐車場近くには少しヤナギラン、フウロウ、トリカブトが咲いていました。ここのトリカブトは花でまぶしたと言うか、花と蕾みが付き過ぎるほどついていて、不気味にさえ感じました。
駐車場から頂上まで20分とありましたが、10分でついてしまいました。高ボッチ・鉢伏山従走路林道脇のレンゲツツジはもう紅葉をはじめていました。大きな蕾みをつけていましたから、来春が楽しみです。

 通ったコース

中央高速岡谷インター⇒塩尻峠⇒高ボッチ山⇒崖ノ湯分岐(山荘あり11月中旬くらいまで)⇒鉢伏山駐車場→頂上→鉢伏山駐車場⇒崖ノ湯分岐⇒崖ノ湯⇒塩尻峠⇒岡谷インター

注、以前は高ボッチ山・鉢伏山へバスが入っていたようですが現在は廃止になっている由、ですから一般にはタクシーで上がり、下りは歩き途中場合によっては、携帯が使えるのでタクシーを呼んでいる由。
 
高ボッチ山に監視員詰所があり、手製オリジナル概念図が(¥100、−)が置いてあります、しかし当日売り切れでした。月曜日で天候があまり面白くないのに10数グループや単独登行者に会いました。

縦走林道は積雪があると翌年の4月頃まで通行止めになる由。積雪期北・南アルプス、八ヶ岳、富士を眺めながらクロカンで歩くと良いかもしれません。

湘南山キチ爺

頚城の山を訪ねて(戸隠山・火打山・妙高山登行録)

月 日   2001年8月12日〜16日1泊2日
メンバー  古谷(深谷イワナ)・古谷・高橋計3名
天 候   連日夏山特有の天気、曇り時々晴れ間、午後雷雨
宿泊地   戸隠・笹ヶ峰各キャンプ場(テント)・ 黒沢池ヒュッテ 
       キャンプ場間車移動
標 高   戸隠キャンプ場(1、000m) 一不動(1:500m) 戸隠山(1、904m)   
       笹ヶ峰(1、300m) 火打山(2、462m) 妙高山(2445.9m)
       黒澤池ヒュッテ(2、000m)

今夏当初計画は淋しがってるザイルを慰めるべく劒の岩場を訪ねるつもりだったが、天候がもう一つと左膝痛の再発が気になり急遽変更頚城の山を訪ねる事にした。

< 戸 隠 山 >
 今春相棒の深谷イワナと登った高妻山から眺めた、鋸刃のような連脈をいずれ訪ねて見たいと思っていたのでまずは戸隠に入る。
 12日早朝5時、茅ヶ崎から電車で深谷に行きイワナと合流、午前7時半彼の車の人となる。車は渋滞の恐れのある高速を避け国道を走り戸隠オートキャンプ場に午後2時頃到着した。

戸隠オートキャンプ場は幕張場所まで車入場OK、既に数えきれないほどのテントで埋め尽くされ、まずは幕張スペースを捜して場内をさまよう。かろうじてスペース発見、しかし豪雨でも降れば山家にはちょっと納得いかない場所だが、他に敵地なくそこに設営。

戸隠山連脈の最高点は西岳の2,053mだから同じことなら西の登山口天狗原から入り第一峰、西岳、本院岳を経由縦走して一不動に下りてみたかったが、ガイドマップによると第一峰に登るだけで4〜5時間を要し、とても1日行程では難しいので、後日を期し九頭龍山のある東戸隠を目指し縦走する。(八ヶ岳に類して述べるなら九頭龍山のある方が東戸隠で西岳のある連脈が西戸隠と云える)

13日朝5時テントを後にし車で奥社入口に行き駐車、日光街道に勝とも劣らない古い歴史が刻み込まれた勇壮な杉並木の、真直ぐに敷かれた参道を進む事約20分で随神門に到達した。早朝なので人影はほらを背にした山伏1人だけ。聞こえるのは小鳥のさえずりと杉の枝葉にしみ込むように鳴る山伏の吹くほらの響きのみ。

随神門に鎮座ましますのは仁王様ならぬ神主姿の彫り物2体なり。

奥社到着6時、シーズン中は駐在しているらしい、老警備員に登山届を提出し奥社の左手より山径に入る。
山径は草刈整備されてなく、藪こぎ状態に近く昨夕の雨でしっかりお湿りを含んでいる、入って間もなくそのおこぼれを頂だいし撥水ズボンでは間に合わない濡れようだ。その上有り難くない小蝿に似た虫が歓迎してくれだした。顔の孔と云う穴に飛び込んで来る。耳、鼻、目、口、右目に入ったやつをやっと取ったと思ったら、もう左目に飛び込んで来た。口を開けたら喉にひっかって出て来ない。ちきしょー まさかこんなことになるとは思わないから防虫ネットは車の中でお留守番だ、留守番させるんじゃーなかったと思ってみても後の祭なり。
 
虫を取り取り最初の鎖場を通過し、凝灰角礫岩の壁下、五十間長屋に6時半前に到着。一本立てるに良い場所だが虫の歓迎がそれを許してくれない、早々に腰を上げ百間長屋に歩を進める。百間長屋は岩壁元が自然に削りこまれたトラバースルートだ。それを過ぎると雪崩れになぎ倒された草木の中を登って行く。見上げると頭上の壁はルンゼ状にっていて水場があるがきれいな水とは言いがたい。
 
鎖があり祠のある岩峰を左に見て通過、これから先蟻の搭渡まで長い鎖場が連続して現れる。
いよいよこのコースで一番面白いと言うか核心の「蟻の搭渡」に続き「剣の刃渡」となる。
「蟻の搭渡」では運良くガスが切れ、蟻ならぬ小猿が一匹座って我々を迎えてくれた。面白いアングルなのでフイルムに納めようとてカメラを構えたがガスの中にさよならしてしまった。

添付図には「蟻の搭渡」「剣の刃渡」にエスケープルートは無い旨記されているが、右下10数m下に鎖が渡してあり、手前の藪から下ってトラバースするルートがあるようだ。
まず猿の鎮座していた「蟻の搭渡」に取っ付くが辛うじて歩ける程度で、バランスをくずしたら最後だ、その時の体制を取りながら綱渡り要領で通過、蒸し暑さは何処かに吹っ飛んでいた。
続いて「剣の刃渡」はとても立って歩けるしろものにはあらず、リッジに馬乗りになり、右足側にはスタンスがあるも、左足は宙にぶら下げたまま腰をずらしながら前進、フイニッシュは右よりに下る。無事通過。
 
少し岩場を登って7時半前、ブッシュを抜けてひょこり八方睨に出る。八方睨にはまだ新しい道標があり、展望出来る山のプレートが頭部にはめ込まれた円形コンクリート製のテーブル状台あり、残念ながら眺めたかった西岳方面を含めぐるりをガスに塞がれて見えず。
 
八方睨を後にして5分1,904mと記された白い木製杭の有るピークに上がる。ここが戸隠の頂上か?展望もないので通過。1,904mのピークから一不動までに4箇所の顕著なピークがあったが、どのピークが最高点か定かでなかった。コンクリート製三角測量ポイントがあったが、ガイドマップに記されている1,882.6mがそれなのか。添付の概念図には1,911mとあるのできじ場になっていたピークがそれなのか、なにしろ最高位の頂上を求めて歩
きながら、気が付いたら一不動の避難小屋前に下り立っていた。
 
途中九頭龍山だったか1,888mピークだったのか思い出せないが、西面の登りが2〜30mの階段状の壁になっていた、しかしフイックスロープも鎖もない。岩慣れしてない登山者はご用心、ご用心。
  
このコースは晴れていて、ガスがなければスリルがあって面白いところだ、けれども展望どころか10m先も見えない時がしばしばあり、足下が深く落ち込んでいる岩場もスリルを半減させていた。折角展望のよさそうなところも潅木とガスで視界悪く、眺めたかった高妻山もガスの切れ間に一瞬それらしい山姿が目にはいっただけに終った。
 
下山後最高点はきじ場になっていたピークだと我々は結論付けたが、自信はない。
(詳細は奥社で貰った「戸隠地区山岳遭難防止対策協会」の添付パンフレット参照)
 
一不動到着9時半前、一本立ててから下山にかかった。下りは深い潅木、根曲がり竹と雑草の中の涸れ沢状のゴーローを急降下していく。残雪深き春山の方がよほど歩きやすい。しかし約10分で不動滝の頭に出た。この辺りから登って来る登山者と行き交うようになった。

夏の午後は天候が崩れやすい、分かってのか!この時間から何処まで登るつもりだろう、あまりにも軽装過ぎるスタイルで登って来る連中の多い事、人事ながら気になる。 牧場上部入口到着10時半、全行程5時間半のお楽しみなり。テント撤収、車を回収し12時ちょうど次のキャンプ地に向け出発。 (戸隠キャンプ場入口出発のバスは毎時30分、1時間に1本出ていた)

 火 打 山 ・ 妙 高 
 
戸隠から笹ヶ峰キャンプ場に、途中杉野沢で苗名の湯温泉で戸隠の汗を流し、食料を調達した。キャンプ場到着は午後3時前だったと思う。タイミング良く入浴中夕立がやって来た。入山中の連中は大丈夫かなー。
 
14日早朝5時キャンプ場を後にして登山口へ、車を登山口の空地に置き登山道へ入る。整備された緩やかな木道を辿る事1時間弱、沢の流れる音が聞こえてきて、黒沢に渡された立派な鉄骨製の橋に出る。
 
黒沢を離れて暫く行くと、このコースでは比較的急な十ニ曲りの上りとなる。1,790mの高度の所にある十ニ曲と書かれた道標を横目に見、メボソムシクイの「ゼニクイ、銭食い」と聞こえる、耳に痛いけしからぬ歓迎のさえずりを聞きながら、登りつめると富士見平に出る。富士見平とあるから富士山が見えるのか? しかししら
びその大木があって展望が良いとは云えない場所なり。
 
富士見平は黒沢池ルートの分岐点だ、登って来た径を真直ぐ進めば黒沢池、左に取れば高谷池を経て火打山だ。我々は左手高谷池に向かうべく富士見平を後にして進む。径は黒沢岳の西斜面を巻くようにしてついている。暫く行くと展望が開け焼山と火打山が見えてきて、やがて高谷池ヒュッテの三角屋根が現れる。ヒュッテ到着8時半なり。高谷池の池塘を眺めながら腹ごしらえをして9時10分腰を上げた。
 
黒沢池ヒュッテへの分岐を過ぎ、池の右手を巻き込むようについている木道を進み、池を離れて登ると庭園状のお花畑となり、さくらそう、わたすげなど高山植物が見られた。(高山植物については別途記載する)

天狗の庭を過ぎ鞍部に上がったところが雷鳥平だ、もう視界を遮るだけかんばもなくなり這松帯となる。火打山頂は目の前だがこの辺りから径はゴーローの急勾配となる。雷鳥平から登ること45分、11時50分頂上に立った。
 
良く晴れていて頭上に雲はないがかすんでいて遠望は良くない、見えるはずの戸隠山や高妻山も見えない、黒姫山がぼんやりと見えるのみ。焼山は駆け登って来る羽衣のような雲を掛けていた。妙高山も頭は雲の中だった。
 
頂上には蝿が多いので早々に腰を上げ踵を返し登って来た径を駆け下りた。 高谷池到着午後1時過ぎ、30分ばかり時間を取ってから今夜の寝床黒沢池ヒュッテに向かう。

黒沢池ヒュッテへの径は高谷池ヒュッテから少し火打山の方に行った所に分岐があり、それを右手に取りしらびその樹林帯の中を茶臼山に登って行く。茶臼山はどこが頂上なのかなだらかな丘陵だ。分岐点から2〜30分も歩けば径は下りになりやがて前方に八角形ドーム型の青い屋根が見えてくる、黒沢池ヒュッテだ。又日の光を反射して白く見える黒沢池も見えてくる。 黒沢池ヒュッテ到着午後2時半前、まだ
ヒュッテは閑散としていた。

 妙 高 山 
 
 朝5時半ヒュッテの洋食タイプ朝食を腹に詰め、6時に妙高山に向けて出立。まずは大倉乗越への約20分の登りだ、径はどろどろのヵ所多く嫌でも愛靴は泥んこだ、靴君ごめん。
乗越に登ると目の前に黒々と樹林に包まれた妙高が現れる。ここから見る妙高はずんぐりむっくりだ。乗越から一旦長助池の湿地帯に向けてフイックスロープのセットされているところもある径を急降下し、トラバース径となって暫く行くと水場の沢に出る、その沢を越え5分と歩かないところが燕新道の分岐点だ。7時ちょうどに分岐を
通過、休まず頂上に向け足を運ぶ、径は急登となり風はないが北面の樹林帯を登るので日が射さず心地よい。
 
2,454mの頂上到着8時ちょうど、ヒュッテから2時間の登りだった。双頭峰とは云えないが三角点のある2,445.9mの頂きもあり、頂上はだだっ広い。山の南側は曇っていて展望零、北方に見えるはずの日本海は見えなかったが昨日登った火打山方面の山は良く見えた。頂上で約30分散策し下山にかかった。
 
黒沢池ヒュッテに戻って来た時間は9時50分だったから、下りの所要時間1時間20分なり。これで今回の登行計画終了、後は下山のみ。ヒュッテを10時過ぎ出立一旦黒沢池へ少し上ってから池の南側の草原に敷かれた木道を進む、黒沢池は大きな池で散策道長く眺めも良いので花の時期にはもっと楽しめそうだ。今年コバイケイソウは花をつけなかったようだから来夏は楽しめるだろう。
 
余談だけれど私にとっては恨み深き黒沢池だ。4年前の4月初旬燕温泉から火打山を目指し、単独登行した時、全くトレールがなく黒沢池ヒュッテまで辿りつくのも苦労したが無事到着。到着した時間はまだ正午前でもあり、空も晴れ視界もまーまーだったのでここでストップするのはもったいないと、高谷池ヒュッテまで足を伸ばす
ことにして茶臼山に向かった、しかし夏径の茶臼山越えのコースを取る事もない、ショートカットエスケープルートを取り、茶臼山の左肩コルを越えることにした。時間的に大差ないのに大きなミスを犯してしまった。
 
山の左斜面をトラバース方向に歩を進める間もなく、山の向こうから暗雲が現れすべてを包み込んでしまった。視界数メートル、行けども行けどもコルに出ない、その内登っているのか下っているのかも分からない。急激な気圧変化もあったようで高度計もあてにならない。自分の所在地が分からなくなっているのでコンパスも役に立た\い。

間違ったと言っても自分の山勘だけが頼りだ、数時間リングワンダリングしてビバークを考えたが、今夜は雷雨襲来の天気予報だ、なんとかヒュッテに入りたい、微かなスキーのシュプールを見つけたので、黒沢池ヒュッテに戻ることにして、ガスの僅かな切れ間の時のみ歩を進めやっと黒沢池ヒュッテに戻った、戻ったとたん猛烈な雷雨到来、助かったの一語につきる。
 
湖畔を歩きながら当時の状態をラップさせ思い出して見ると、しらびそなどの樹木の位置から思うにリングワンダリングしたのがこの広大な黒沢池を含む周辺だったようだ。
 
話しを元のコースに戻します。
黒沢池尻の小川を渡って径は樹林帯の中を上って行く、樹林帯に入って20分ばかりで富士見平に辿りついた。
 富士見平からは昨日登って来た径をメボソムシクイやウグイスのさえずりを聞きながら黒沢へ、黒沢到着は午、一本立てて登山口へ、登行完了12時45分なり 火打山、妙高山ともに行き交う登山者多く賑やかなり、但し高谷池ヒュッテから黒沢池ヒュッテ間と黒沢ヒュッテから富士見平間は行き交う人もなく静かな道行きだった。
(注、黒沢池ヒュッテの弁当はおこわのパックを湯で温めたも2個でおかずはついていませんからお勧め出来ません)

高山植物(咲いていた花
戸隠山        まつむしそう     いわかがみ  等
火打山 下 部  つりがねにんじん ぎんりょうそう、つるにんじん みやまこうぞりな しろほたるぶくろ 等
     湿地帯  わたすげ はくさんふうろ いわうちわ 等
     上 部  さくらそう とりかぶと りんどう いわかがみ うさぎぎく やはずははこ 
            みやまきんばい たかねとううちそう いわかがみ 等
 妙 高  とりかぶと  とうやくりんどう りんどう  等
                                      
                                      
                         平成13年8月19日

                                KKUACOB T.TAKAHASHI

                                

                                 野呂川扇沢から小太郎山

日 程:2001年7月19日(夜発)〜21日(土)幕営1泊
参加者:Y氏、小生
天 候:20日/晴れ、21日晴れ

 扇沢は、山梨県身延町で富士川に流れ込む早川の源流である野呂川の支沢で、北岳の前衛峰の一つ小太郎山に源を発している。グレード2級と手頃なうえ、どのレポートを読んでも“小太郎山は良い”と書いてあるので、ここ3〜4年暖めていたものだ。

ただコースタイム5時間+、斜度のきつそうな標高差1000mを装備やらテントやらで膨らんだザックで登るため、かなり気合いを入れなくてはならない。にも拘わらず小生ときたら、ここ数日の異様な暑さにビールが進み、体重も増加し、ひたすら怠惰な日々を送っていた…。

7月20日(金)
(行 程)
広河原     扇沢出合    二股    奥の二股   源頭   小太郎山
9:10 (バス) 9:25-50 11:06-18 14:45 16:16-45 17:50

 19日の晩、会社近くで一番安いクラスをレンタルし、暑苦しい都内の渋滞を抜けて中央高速を飛ばし、漆黒の“南アルプス街道”を登り切って広河原に0時半頃着いた。出発前Hさんから、広河原の近年の混み方は異常で、車を止めるのは大変だと聞いていたので極力早めの現地入りとしたのだが、既に多くの車が駐車している。うろうろした揚げ句、我々は何とかバス停近くの道路脇に駐車する事ができた。

一杯やって車内仮眠とするが、夜中じゅう車の行き交う音とライトの眩しさでろくに寝られなかった、というようなデリケートな体質とはほど遠く、翌朝は7時まで寝坊してしまう。

 一番バスを逃した我々は、朝飯を食ったりして時間を潰し、9時過ぎの北沢峠行きバスで扇沢出合で降ろしてもらったが、運ちゃん曰く「今年はあんたらが初めてだから気い付けろ。」これに反応した同乗の登山客からもエールを貰い、手を挙げて応えながら(何のこっちゃ)、いざ出発。

割と明瞭な踏み跡から50m下の野呂川に降りると、扇沢出合付近は未だ初夏のように新緑が鮮やかだ。川風に煽られた樹々の枝間から無数の白い綿毛のようなものが飛び出し、陽光に輝く谷間を舞っている。不思議に美しい光景だ。と、そこへ釣り師が一人現れた。釣果を聞けば、「ぼちぼちだね、小さいのばかりさ」とぼやきつつ、彼は下流へと姿を消した。

 さて、沢支度をすませ、さほど広くない出合から、深く急峻な谷底となっている扇沢に入る。しばし倒木の多いゴーロ帯が続いた後、しょっぱなの6mCSに出会う。これは右壁を登るが、傾斜がありぬめっている。重荷が緊張感をいや増すようだ。5m程の滝を幾つか越えると、記事にも出てくる20m2段が現れる。ルートは水流沿い右だが最上部はスタンスの乏しい泥岸壁で悪い。残置ハーケンに支点を取ってザイルを伸ばすYさん。全く有り難いことである。更に8m程度の滝を2−3越えると、谷が右へ曲がる所に3段25mがある。これは高度感あるものの割合スムーズに登れる。

 二股は大岩のゴーロ帯で、やはり流木で埋まっている。左股へ入る。ここからいわゆる爆流帯となる。10m〜20m級の滝がこれでもかと続くが、どれも簡単には越せないものばかり。大きなホールドがあっけなくはがれる、飛瀑の裏をくぐらされる、かぶった壁のバンドで大きなザックのため外へ放り出されそうになる、

高度感満点のシャワークライミングで眼鏡が曇って冷汗をかく等々、とにかく緊張の糸が解ける暇がない。Yさんも“悪い”の連発。一見簡単そうに見えた10m程の滝も、左から取り付いてみると最上部がハングした泥壁でホールドが無く、結局空身で落ち口の岳樺を木登りし、ザックを吊り上げて事なきを得た。

核心部とされる25m2段は記事によれば中段のテラスで右へ移るとあるが、左通しに直上すると落ち口付近は雑草に隠れたホールドがあり、比較的スムーズに登れた。むしろ他の滝の方が難しいものが多いというのが実感である。
 
奥の二股手前は長さ100m以上もあるスノーブリッジが2カ所断続し、中から冷え冷えとした冷気が吹き出してきて寒い。ブリッジはまだしっかりしているようなので、上に乗って進むが、途中切れているところもあり雪渓の乗り降り、渓流シューズのスリップに気を使いかなり緊張した。奥の二股を左股へ進むと雪渓が消えており、思わず胸をなで下ろす。

この先は傾斜が強まり、スケールは小さくなるが滝また滝である。結局イレブンクライマーのYさんはオール完登(えらい)、私は爆流帯最初の10mを左ルンゼから巻いたが、自分としては充分楽しんだ(苦しんだ?)ので満足感は大きい。それにしても下から上まで傾斜のある大きめの滝が続き、簡単なものは一つも無かったという印象だ。Yさんも「厳しかった」と一言。

 源頭に達し水流が消えかける頃、一息つく事にする。写真でも撮るかと撮りきりカメラをポケットから取り出すと、ふにゃふにゃにふやけている。レンズも完璧に曇っているではないか。シャワーを浴びていたときカメラをザックに仕舞ってなかったのだ。失敗だ!更に、「あれ、…時計がない」沢詰めや藪漕ぎで傷だらけになりながらも私に7年間付き添ってくれた愛しのぷろとれっくちゃんが手首から忽然と姿を消してしまったのだ。

最近バンドが切れて付け直したのだが、うまく固定できてなかったのだろう。ちょっと寂しい気分になりかけるが、今は甘い感傷に浸っている場合ではない。夢中で登っていたので気が付かなかったが、いつの間にか時間を大幅に消費してしまい、もう5時を回っているのだ。締めはたっぷり1時間の這松漕ぎが待っている。

靴を履き替えて源頭の窪からザレを辿ると、岳樺が多くなって遂に這松帯に突入する。先人の踏跡をトレースするが、実際は進行方向が分かる程度で、背丈を超える這松の枝が前進を阻む。両手両足を駆使して漕ぎまくること小一時間、這松の花粉でゲホゲホになりながら小太郎山頂に辿り着いた時は、心身共にぼろ雑巾と化していた。
 
頂上には先客が居た。静岡の山岳会で、来年正月の南ア全山継続縦走の下見のため、小太郎山の西尾根(バリエーション)から登ってきたそうだ。その企画のためにわざわざ名刺まで作っているという入れ込みようだが、会員の平均年齢50才超というその団体の意気込みは、我々にも見習うべき点があるなあ、と思う。

 その晩は、山頂にテント2張のみ。晩飯後、ワインで乾杯する。いささか身体を酷使しすぎたようで、2人とも大腿だの足指だのが吊りまくってしばらくは七転八倒であった。8時頃就寝した時はガスっていたが、夜半トイレに起きたら満天の星と、東西の地平線を結ぶ真っ白な天の川に思わず息を飲んだ。

7月21日(土)
(行 程)
小太郎山   白根御池分岐   白根御池     水場    広河原山荘
6:50   8:26    9:17-35   10:34-40 10:52

 翌朝は快晴。疲れすぎからか眠りが浅かった我々は、4時半頃テントからごそごそ起き出して(珍しく?)ご来光を拝んだりした。地蔵岳辺りからの日の出は4時50分と早い。

次第に朝日が照らし出していく山々の展望は文句無しに素晴らしい。ちょうど東〜北に鳳凰、早川尾根、甲斐駒と続き、西は仙丈岳、馬鹿尾根、南は北岳の巨体がぐいと聳えていて、何だか富士山も低く見えてしまう。まさに南ア北部の山々の中心にいるといった感じだ。そして静かな山頂。5時半過ぎに出発した彼らを見送った後は貸し切り状態である。夏山ピークのこの時期にはとても味わえないゆとりを享受できたのは最高の贅沢だろう。しかし写真の出来はほぼ絶望的だ、とほほ…。

 あんまりゆっくりし過ぎると気温が上がって歩き辛いからと我々が出発したのは7時前と、もう充分遅い。夏雲の湧き上がる中、割合しっかりした小太郎尾根道を北岳方面に辿る。途中3人すれ違う。皆山梨百名山狙いらしいが、小太郎山への訪問者数はごく少ない様だ。最低鞍部からの200mの登り返しが苦しい。足が出ない。それでも何とかコースタイムの2割増しほどで、ふらふらと白根御池分岐に到着。

北岳をピストンする気力が無い点で一致している我々はそのまま御池への登山道に入る。しかしここからが大変、雑踏に突入してしまったようだ。登山道はまるで富士山のように行列が続きすれ違いが大変だ。お花畑では道をふさいで花の名前を巡って喧嘩している中高年もいる。そんな中をひいひいいいながら下る。遠く下界の広河原一帯は溢れかえる車の屋根がぎらぎら光って異様な光景だ。

白根御池小屋では余りの暑さに我慢できずビールを買ってしまう。これがいけないのだ、しかし駄目だ。分かっていても飲んでしまう意志の弱い私。更に樹林帯の急な下りが続く。暑さと筋肉疲労でもう限界だ。広河原に着く頃は2人とも無言で、夢遊病者状態だ。「終わった…。」 ただその一言が脳裏に浮かんだ。

 帰りがけには大樺沢分岐バスターミナルから甲府、奈良田両方面とも3km程も駐車していて、バスやら何やらですれ違いも大変だった。全く聞きしにまさる大混雑だ。吊りそうな足で必至にペダルを踏み、芦安温泉へ汗を流しに行く。Yさんが「1キロ減ったよ。」とにんまり。私は何と5キロ近くも減っているではないか。嬉しい、やはり体脂肪が燃えたのだ。そのご褒美で、という訳でもないが、竜王立体交差点の民芸で乾杯して帰ったのだが、これ位は勘弁して欲しい。

うだるような猛暑の午後、有り難いことに中央の上りはガラガラで、甲府昭和から2時間弱で東京に帰り着いた。日曜だったら全線渋滞でひどい事になっていたので、日程的にもうまくいったようだ。

今回は沢も充実したし、小太郎山も非常に良い山だった。山頂に(禁止ではあるが)幕営するつもりなら、乙な一夜を過ごせる事請け合 い                                                                              (完)   

投稿  酢napkin                           

                                      月 山 登 行 記 録


月 日  2001年7月7〜8日 
山 名  月 山(1,984m)一等三角点標高(1,979m)
天 候  快 晴
メンバー 作者他ビギナー2名同行
コース  姥沢→(月山リフト)→姥ヶ岳→牛首→カジ小屋→月 山 →カジ小屋→
牛首→牛首下→姥沢

 同行ムスメッコ達のエーデルワイスを見たいと云う要望にこたえ、月山に登って見る事にした。コースはもっとも楽な姥沢からリフトを利用し、帰路は諸状況により西俣沢に沿ったコースを姥沢まで歩いて下りることにした。
 
宿でリフトは8時が始発と聞き、宿を7時半前に出発した。からとした快晴で風はないが心地よい。姥沢駐車場に7時半過ぎには到着。姥沢駐車場は駐車料1、000円なり。売店レストランあり。リフト乗場まではゆっくり歩いても10分程度だ。リフト乗場に上っていく途中にある姥沢小屋のところに西俣沢側から登って行く登山口があり道標もあるが見落としやすい、リフトを使用しないで登る時は姥沢小屋を目標に上って行くこと。
 
リフト乗場には8時前に着いたのにもうリフトは動いていた、時間を聞き損ねたが今日はもっと早い時間から動いていたようだ。料金は片道560円往復1、000円なり。リフトはペア―タイプ、約15分で終点につく。
 
駐車場辺りからも良く見えたいたが、姥ヶ岳の南斜面の雪渓では既にスキヤ―達が滑降をやっているのが見える。その雪渓尻手前で登山道は右手に牛首へと下って行く木道と、左手に雪渓を切って姥ヶ岳へ直登するルートに分かれる。
 
姥ヶ岳経由をとることにしてして雪渓尻へ、雪渓上のルートにはヒックスが張られていたが、トレールはまだ新しくスタンスは浅い、急勾配なのでミニフアイブを着けて上った。上半身裸の若者を交えたスキーヤーやボ―ダ―が残雪を楽しんでいるのを見物しながら頂上へ。雪渓が終わると緩勾配になり木道となる。
リフト終点から約30分9時前に到着、ムスメッコにクランポン着けさせるのに手間取ったわりには早く着いた。途中小さな池塘周辺にニッコウキスゲが芽を出していた。
 
頂上はだっだ広く、仙人沢側に展望スペースがあり、ロープが張られてお花畑が作
られていた、ここまでは散歩気分で上って来る観光客があるようだ。
 
9時に姥ヶ岳を後にして木道を牛首に下って行く。この山の木道は歩き易い、他の山では時々足の下し方を切り替えなければならないが、ここは歩行者の気持ちになって設置されている。板と板の段差が少なく、上の段から下の段に足を下すのに、右足ばかりになったり左足ばかりにならないように出来ている。
 
金姥で湯殿口からの登って来た登山者と合流、牛首からはリフトから直接登って来た者や姥沢からの登山者で一段と賑やかになり、行列と云ってもいい状態なり。カジ小屋を過ぎたころからヒメウスユキソウが目につくようになった。今回の目的は達成だ。頂上近くでは黒百合が黒ゴマを蒔いたように群生しているところもあった。
 
頂上への階段下に11時前到着。 「頂上はちょっと待った」最高位の頂上には月山神社が鎮座ましまし、一金500円也の御払い料を払い、厳かな神官の御払いを受け、身を清めてからでないと入場参拝が出来ない仕組みだ。神社の回りは石垣で囲まれ展望なし。お札売り場の行列を抜けてやっと神社から開放された。
 
一等三角点は神社裏弥陀ヶ原コースに回り込んで上ったところに設置されていて、ややもすれば見落としそうだ。しかしここの方の展望が良い。ゼブラ模様の残雪で縞馬が寝そべっているような朝日連峰、そして日本海、昨夏登ったでかい図体の鳥海山、霞んで見える東北の山並みに蔵王がひときわ大きく座ってい
る。弥陀ヶ原コースは大雪渓をトラバースして下っている。
 
頂上周辺を1時間ばかり散策し12時に踵を返し下山にかかった。登山道の狭いヵ所ではしばし登って来る登山者を待ちながらの下りだった。
 
姥沢方面への分岐着12時40分、湯殿山方面への径と分かれて雪渓の頭につく、ムスメッコ達にクランポンを着用させ雪渓へ。雪渓は西俣コースの分岐まで続き結構楽しめる。スリップしても危険性はないのでムスメッコ達は尻セード、お尻は美女美女(ビジョビジョ)。雪渓尻近くでリフト乗場に上って行く径と別れて西俣コースに足を向けた。時は13時15分。
 
姥沢までの途中1ヵ所だけ西俣沢の支沢に残雪があり、急勾配で深く落ちているところをトラバース。フィックスは張られていないので少々ヤバイ。スタンスが深く出来ており、ムスメッコ達の希望でクランポンは着けさせなかったが、ムスメッコ達より小生の方が緊張してアドバイスしながら通過。振り帰ったら後続のパーテイ―はクランポンを着装していた、面倒でもクランポン装着が正解なり。
 
雪渓を過ぎてからは根曲がり筍を探しながらの散歩径。遅咲きの水芭蕉の群生する湿地帯を過ぎると姥沢小屋の屋根が木の間に見えてきて、小屋の裏手に出る。小屋の前の土手にはニッコウキスゲが咲き誇っていた。
 駐車場到着14時15分、心配した膝も気配りされた木道のお陰で異常なし、消炎剤のお世話にならず無事下山。下山後昨夜の宿で温泉にひたって帰路に着いた。

追加事項
1、 前日早く着いたので湯殿山に参拝、運緋地七橋から有料道路200円也、駐車場から約5分シャトルバス、片道100円也。御神体の参拝料は500円也、 はだしになり入口で御払いを受け、身を清めてから谷へ下って行く。
御神体の御前でまた厳かなる御払いを受けてからお湯の流れる御神体の端っこを登って、御神体の頭の見えると ころに上がる。全て撮影は禁止だった。
    
御神体は鍾乳洞の石筍に似た形成体だ、頭部の噴孔から水酸化鉄を含有している温泉が噴出し、流れ落ちる時冷えて周囲に水酸化鉄が沈殿付着、永い年月をかけて赤褐色の噴泉搭を形成した
ものだ。宿への帰路沢に入り釣り糸をたれてみたが、月山の岩魚は湘南爺を一匹も相手にしてくれなかった。ムスメッコ達は岩魚酒を期待して炎天下の路上で辛抱強く待っていてくれたのに申し訳なし。
  
2、 志津温泉の宿は山菜蕎麦で繁盛している小じんまりした「ゆきしろや」に泊まった。、オカミサンが美人で愛想良く、家庭的だった。夕食のえさは山菜ずくしで上手い。朝食もおかずがしっかり出た。窓からニッコウキスゲを眺めながら入浴も又格別なり。帰路の入浴はサービスでこれも気分が良い。1泊8、000円也で云うことなし。宿の中型バスで送迎も してくれる。
     
宿の名は「ゆきしろや」0237-75-2033は昭文社のエリヤマップには掲載されていない、詳しくは山形県川西町役場商工観光課のホームページで要確認。
 
 3、 咲いていた高山植物は ヒメウスユキソウ、黒百合、タカネスミレ、ハクサンフウロウ、ウサギギクハクサンチドリ カラマツソウミヤマキンポウゲ イワウチワ アオノツガザクラ チングルマ シラネアオイ ニッコウキスゲ 水芭蕉 ショウジョウバカマ ミヤマキンバイ ミミナグサ  白い石楠花三角点側のみ)
 
 4、 月山インターチエンジ近くに月山湖道の駅あり、1時間ごとに14分間 噴水を上げているので時間があれば見物すると良い。
  
5、 比較するのは良くないが、月山は登山対象としては他にないユニークな山だ、なにやら遊園地に入ったように金がいる山なり。

 6、 コースタイム
                 出  発                 到  着
  7/7   茅ヶ崎       4:40     横  浜           5:15
        横 浜       5:30     川  口       6:30
                      月山インター 11:00
                       志津温泉     11:30
  7/8   志津温泉   7:20   姥沢駐車場 7:40
                        リフト乗場    7:55
        リフト乗場   8:00     リフト乗場   8:15
       リフト乗場    8:15     姥ヶ岳      8:50
       姥ヶ岳      9:00     月 山    10:50
       月 山     12:00    牛首分岐  12:40
       姥沢分岐  13:15   姥沢小屋  14:15
                      駐車場    14:20
       月山インター15:30  横 浜    22:30
       横 浜   23:10    茅ヶ崎     24:00

                
                                                                               KKU AC OB  T.TAKAHASHI

 

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